国際保健×亀田家庭医 氏川智皓

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post289_0.jpgー「国際保健」と家庭医/総合診療の親和性について、氏川先生はどう思われますか?
多くの共通点があると思います。まず臨床能力的には、どちらもリソースが限られている場所で活動することが多く、外科的なことや小児科、産婦人科など幅広い領域の知識と技術が求められます。また、一人の患者さんだけでなく地域全体の健康を考えるということや、その背景にある文化や習慣を考えることなど総合的なスキルも、どちらの領域でも重要でしょう。そういった意味で、家庭医のスキルはプライマリ・ケアが必要とされる現場であれば世界中どこでも活かされると思います。

ーそもそも氏川先生が「国際保健」に興味を持ったきっかけはどんなことだったのですか?
大学生の時に、中南米やヨーロッパをバックパッカーとして回った事がきっかけだと思います。実は最初から海外に興味があったわけでは無く、大学生だったら海外旅行に行かないと、という動機で海外に出ました。でも実際に海外に出てみると、色々な価値観や生活習慣の違いがあって、非常におもしろいな、と思ったのです。もっと海外の文化について深く知りたい、と思っていた時に、国際保健医療学会の学生インターンという企画を知りました。すぐにそれに応募して、現在は東京女子医大の教授になられている杉下智彦先生がプロジェクトリーダーをされていたケニアのJICAプロジェクトで研修をさせていただきました。
杉下先生は医療人類学にも精通されている方だったので、アフリカの医療情勢を学ぶだけでなく、異文化の奥深さを知り、国際保健にますます興味を持つようになりました。

ー氏川先生は亀田家庭医のプログラムを修了した後「国境なき医師団」へ参加されましたが、その理由はどんなことだったのですか?
post289_1.jpg漠然と人生のどこかのタイミングで海外で働けたら面白いなと思っていました。
そんな中で、家庭医の研修中にスーダンで活動されている「ロシナンテス」というNGOで2週間の海外研修をさせていただく機会がありました。研修中に巡回診療に同行させていただいた際に、改めて家庭医のスキルが国際保健の現場でも生かされるに違いないと確信しました。帰国後、国境なき医師団のミッションに参加しながら亀田総合病院で救急医として勤務されていた中山恵美子先生と一緒に働く機会があり、そのことをお話したところ「その通りだから、是非挑戦したほうがいい。」と背中を押してくださりました。この頃から漠然とした夢を実際に実行に移したいと思うようになりました。

多様な価値観を知ること 世界で活躍するひとと出会う

ーそうして氏川先生は、国境なき医師団の南スーダンでのミッションに参加されたわけですが、現地ではどのようなことをしていたのですか?
首都ジュバから飛行機で30分程のムンドゥリという街で働きました。ミッションに参加した当時は、車で2時間ほどのところでは小規模な戦闘が起きていましたが、市街地の治安は比較的安定していました。ただ、元々あった医療施設が内戦の影響で機能しなくなっていました。もともと巡回診療を行うプロジェクトだったのですが、巡回診療で拾い上げた患者と市街地の救急患者を受け入れるために救急室の立ち上げを任されました。正確に把握する事は難しいですが、約5万人の診療圏を対象としていました。プロジェクトにいる外国人スタッフは私を含めて6人で、MDの資格を持った医師は自分1人でした。外国人スタッフの看護師は巡回診療、助産師は産婦人科領域、私は救急室、とそれぞれが各部門を統括して現地スタッフを指揮していました。私はClinical Officerと呼ばれる現地で臨床医の役割を担っているスタッフと現地の看護師と共に働きました。できる検査は、マラリアと血糖値、尿の迅速検査、超音波、処置も点滴と創傷処置など限られたものでした。

ー仕事をしていて、家庭医で学んだことが役立ったことはありましたか?
臨床的には一番は超音波ですかね。周りの人にとって真新しいもので、周りからは神様のようにあがめられました(笑)。妊娠週数の推定、双胎かどうか、胎盤の位置など産婦人科的なことや、救急でのFASTなど様々な面で役立ちました。現地スタッフには創傷マネージメントの教育が役立ったのではないかと思っています。創の洗浄の大切さや縫合のポイント、抗生剤や破傷風ワクチンの要不要まで基本的な事は繰り返し伝えました。自らワークショップの代表をやったこともありましたし、研修医教育を家庭医の研修の中で学んでいたのが生きたと思います。

post289_2.jpg一番大変だったのは物品管理ですが、これも家庭医の研修の中で経験した業務改善が生きたと思います。救急室の立ち上げ当初は物品管理がシステマティックに行われておらず、気付いたら在庫が無い、という事が起こっていました。発注をかけるといってもケニアの備蓄基地から運んでもらわねばならず、日本のようにすぐには届きません。その在庫も年間の在庫量が決まっているので計画的に使わなければならないのです。それに加えてワクチンは温度管理も必要で、暑い環境で倉庫の温度管理も考えねばならず、様々な課題がありました。この問題は物流担当のスタッフと協力して取り組みましたが、最終的には在庫管理のかなりの部分を現地スタッフに移譲するところまで仕組み作りをしました。
家庭医として印象的だった事例としては、ある生後1週間で脱水で運ばれてきた赤ちゃんが思い浮かびます。退院後1週間でまた脱水で帰ってきたのですが、家族によると母親に知的障害があり、母乳を全くあげていなかったのです。その時に、栄養プログラムのNGOにつなげて栄養指導を行うように手配したり、他の家族を集めて家族カンファレンスを行い支援の必要性を伝えたり、患者背景を考えたフォローや多職種連携をスムーズにできたのは家庭医としての経験があったからこそかもしれません。
個人的には、家庭医の研修の中で自己省察や自己管理をする習慣が身についていたことが厳しい環境の中で働く中で一番役立ったように感じます。救急室の責任者として24時間対応しなければならない緊張感による精神的負担があっただけでなく、日中40度を超える環境での肉体的疲労もあり、バーンアウトに近づいていく感覚も経験しました。家庭医の研修の中で学ぶ自己学習・管理能力はこうしたフィールドにおいて極めて重要だと思います。挙げればきりがないですが、家庭医の研修がフルに活用されたと思います。

地域に、人に、合ったケアを提供できる家庭医

ー「国際保健」の現場で実際に働いてみて、「国際保健」関連について今後の目標はありますか?
post289_3.jpg今すぐにまた国際保健の現場に立ちたい、という思いはありません。ケニア、スーダン、南スーダンでの経験や、日本の地域医療での経験を通して、地域の中での人のつながりが、それぞれの地域の健康に大きく影響を与えていることを感じました。それぞれの風土や文化に合った形があると思いますが、コミュニティーのつながりは人間の営みとして普遍的に重要だと信じています。アフリカではそれは日本より上回っていると感じることもありました。ですから、コミュニティーのつながりが健康に寄与するメカニズムや意義をきちんと言語化して明確にする事で、世界中の人々の健康に貢献できればと考えています。

ーそんな氏川先生がそもそも亀田家庭医を選んだきっかけは何だったのですか?
大学4年生の時にレジナビに行ったのですが、その時に偶然佐久総合病院の方に声をかけていただきました。当時の僕にとっては地域医療というのは新鮮でおもしろそうという単純なものでしたが、それがきっかけで佐久総合病院地域ケア科の1週間の実習に参加することになりました。地域に出て活動する医療スタッフの方々を見て、こんなにやりがいのある仕事があるんだ、と感動したわけです。それまで救急医療ばかりに興味があったのですが、長いスパンで人や地域に関わる事に興味を持ち始めました。
その後、偶然なのですが、ケニアでの学生インターンで一緒になった方に佐久での話をしたところ、家庭医療学夏期セミナーを紹介されて大学5年生の時に参加しました。それが家庭医療との出会いです。これまた偶然にも岡田院長とお話する機会があり、「家庭医療はJazzだ」と言われて、当時大学のJazz研究会に所属していた僕は、家庭医療もおもしろそうだな、と漠然と思っていました。
ただ、やはりそれまで目指していた救急医療への興味は捨てきれず、初期研修では湘南鎌倉総合病院で働くことになりました。救急医療の課題を知り、予防医療やかかりつけ医の役割の大事さを感じる中で、初期研修2年目の春に地域研修で鹿児島県の与論島で働く機会がありました。人口5000人の小さな島で、プライベートも仕事もごちゃまぜですが、自分が守るべきコミュニティーが明確にある環境に魅力を感じました。やはり将来は地域医療に携わりたいが、そのために最も有用な能力は何か、と考えた時に家庭医療に違いないと考え、専門研修は家庭医療を選択しようと決心したのでした。岡田先生との出会いが印象的だったので、せひ岡田先生のもとで研修したいと考えて、亀田一択で研修先を選びました。

ー亀田家庭医の専攻医時代はどのようなことに力を入れていましたか?
post289_4.jpg自分で自分の健康を管理できる住民を増やしたい、予防医療を広めたい、と救急の忙しかった初期研修医時代に感じていました。ただ、それは病院で待っているだけでは意味がなく、普段病院に関わりのない人たちにアピールしなければいけません。そこで家庭医の研修中には地域に出ていくことを始めました。例えば、地域のイベントで子供向けに手洗いや予防接種の大切さを広めたり、地域のフィットネスクラブの会員の人に予防医療の知識をレクチャーしたり、音楽イベントでHIVに関する啓発活動を行ったり、児童養護施設で小児の急変対応のレクチャーを提供するなど、幅広く地域での活動をしました。

多種多様なコミュニティーと地域医療の需要

ーそこでどんなことを感じましたか?
思っていた以上に「地域に出る」ということは難しいと身を持って学びました。アプローチできる住民の数も思っている以上に限られていますしね。いろいろ投げてみて見えてくるというか、地域活動は思っていたほど道筋たってないというのも感じました。継続性を考える事は非常に重要で、論理的かつ批判的に計画を立てる必要があります。その一方で、何が続くかはやってみないとわからないのでとりあえずやってみる、というのも大事だと感じましたね。まず自分が楽しめなければ続きません。継続性を考えすぎるとあまりおもしろくなくなってしまうという側面もありますから、バランスが大事でしょう。行動しなければ何もはじまりません。その第一歩としては、色々な人に、こういうのが面白いと思うんですけど、と自分のアイデアをぶつけてみることも大事ですね。

ー亀田家庭医で学んだよかったことは何ですか?
人との出会いが一番大きいと思います。医師として人間としてロールモデルと思える多くの先生に出会えました。家庭医だけではなく、専門医の先生も含めて、パッションのある先生と働くことができた事はかけがえのない経験です。また、患者さんやクリニック、地域の課題について、熱意を持って一緒に立ち向かっていける素晴らしい同僚に恵まれた事にも感謝しています。何より多くの患者さんや住民の方との出会いがあり、その中で人間として育てていただいたと思います。
臨床的な側面では、家庭医として必要な幅広い知識と能力を身につけられたことは大きな財産です。発達障害診療や産婦人科の知識、緩和ケアや組織マネージメント、学問としての家庭医療学など、挙げればきりがないのですが、他の研修施設では得られない幅広い知識と技術を獲得できたと思います。

ー氏川先生が家庭医をやっていてよかったなと思う瞬間はありましたか?
そもそも医者を目指した動機は、自分の身近な人の健康問題に寄り添える人間になるためだったわけですが、家庭医はまさにその役割そのものだと思います。
幅広い臨床能力が生きる時にもやりがいを感じますが、家庭医療が大事にしている事の一つである「関係性」を意識しながら診療している時には、家庭医としてのアイデンティティーを強く感じている気がします。
家庭医療学は「人を診る」という事に関する根本的な姿勢や哲学を持っていますが、それが自分の価値観と一致しているという点は非常によいと思います。

関係性と継続性。ひとと出会い、寄り添える人間になる

ー専攻医としての生活はどうでしたか?
様々な科のローテーション、継続外来、地域活動など、多岐にわたる経験をしました。多忙でしたが、どれもやりたい事、学びたい事ばかりだったので、充実した日々でした。研修を通して、自分の目指すべき医師像を明確にし、その礎を築くことができたと思います。

ーでは、未来の亀田家庭医にメッセージをお願いします。
学べる事、実現できる事は無限大です。亀田家庭医の良さは大きく分けて3つあります。まずは産婦人科、小児科など含めた幅広い臨床を経験できること。次に、1次-3次医療機関まで全て完結して診られるところ。そして、幅広い領域で活躍している卒業生の人たちと繋がれること。これらの条件が揃っている環境は他にないのではないでしょうか。ゆえに家庭医になるなら亀田しかありません。これ以上ない素晴らしい環境の中で、ぜひ自分の可能性を広げてください。

このサイトの監修者

亀田ファミリークリニック館山
院長 岡田 唯男

【専門分野】
家庭医療学、公衆衛生学、指導医養成、マタニティケア、慢性疾患、健康増進、プライマリケア・スポーツ医学