マイノリティ×亀田家庭医 坂井雄貴

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post258_0.jpgー坂井先生のテーマにしている「マイノリティ」について簡単にご説明をお願いします。
マイノリティというと外国人、障がい者、LGBTといった人たちをイメージするかもしれませんが、マイノリティの要素というものはみんなが持っていて、その意味では全ての人が当事者です。ですが、その要素が社会的に受け入れられているかで、日常的に自身のマイノリティ性を意識する人と意識しない人が生まれ、無自覚の特権や差別、偏見が起こっています。社会が作り上げるこうしたマイノリティの現状が、人の健康や幸せに大きく影響していると感じていて、そんな文化を少しずつ変えていきたいというのが僕のモチベーションです。

ー「マイノリティ」というテーマに興味を持ったきっかけはあったんですか?
元々、自分自身が持っているマイノリティの要素がいくつかあって、いつかそうした人の助けになりたいというのが根底にありました。その思いが、家庭医として研修をしていく中で確信に変わったという感じです。家庭医療や総合診療が高齢者の医療として語られることがありますが、それには違和感があって。高齢者とも沢山出会いますが、神経難病の若い人やシングルマザー、貧困、発達障害の方や性的マイノリティの方と診療の場で出会った時に、社会からあまり目を向けられていないけど困っている人が沢山いるなと実感したのが1つの理由です。「この人たちは家庭医がいなかったらどこで相談しているんだろう」と思う場面もたくさんありました。家庭医として何ができるかと考える中で、ずっとやりたかったマイノリティの支援を自分の立場で実現できないかと考えました。

ー今、坂井先生がやっているプロジェクトを教えてください。
現在は性的マイノリティの方の支援活動をしています。プライマリ・ケアに関わる医療従事者を対象に、性的マイノリティに関する知識と医療現場での態度を啓発していくことを目的としています。3年前に亀田ファミリークリニック館山で先輩たちと作った LGBT の勉強会があって、2年ぐらい前から範囲を広げて「にじいろドクターズ」という団体を作りました。プライマリ・ケアに関わる医療者が、セクシュアリティというテーマを通して対話したり、学びあったり、情報を伝え合う。そんなコミュニティを作りたいと思って活動をしています。また、地域の小中学校での性教育を通した性の多様性を伝える活動やwebメディアでの発信、館山市の男女共同参画委員として性的マイノリティに配慮した町づくりにも関わっています。

post258_1.jpgー目標や野望はあるんですか?
日本にはLGBTに関わる医療従事者の団体としてアドボケイトができるものがなく、にじいろドクターズに活動から、広く医療者が横に繋がって発信ができる組織を作りたいと思っています。そう思った背景としては、今日本ではLGBTと医療について学ぶのに適した教科書も資料もほとんどなく、当然研究や医学教育も遅れていて、そのため医学界がなかなか変わっていかないという現実があります。また、マイノリティの問題には文化や歴史など、日本特有の文化も多大に影響しています。そのため、海外のものをただ持ち込むのではなく、日本の背景に合わせて情報を自分たちの言葉で伝えることを大切にしています。

ーそんな坂井先生が家庭医を知ったのはいつごろだったんですか?
医学部5年の夏にイギリスに1ヶ月留学したとき、そこで日本人の家庭医に出会い、イギリスにはGPという医者がいるらしいというのを知りました。大人も子供も高齢者も妊婦も診て、心のことも診るし、小さい手術もする。こんな医者がいるんだと思って、魅力を感じたことがきっかけです。当時は臨床留学をしたいという憧れもあって、英語に日常的に触れられ、米国に近い家庭医の研修環境がある亀田総合病院を初期研修で選び、そのまま後期研修に進みました。

ー後期研修が始まって、印象に残っていることはありますか?
後期研修1年目で日本プライマリ・ケア連合学会の日英交換留学プログラムに2週間参加したのですが、家庭医として視野が広がった忘れられない時間でした。当時は研修中で家庭医としてのアイデンティティとか、様々な悩みがあって。海外の家庭医と話して、こうした悩みは世界中の家庭医にあると気付きました。家庭医の歴史が長いイギリスでも家庭医は悩んでいて、家庭医の社会的地位をよくしようとか、研修医を守ろうとか、そういった活動がイギリスにもあることを知ったとき、自分は一人じゃないと実感できました。それに、家庭医が大切にしている価値観とかが表現しなくても通じ合う感覚があって、自分が家庭医としてやっていることに自信が持てましたし、この進路に間違いはないと思いました。

ー亀田家庭医の研修で学んで印象に残っていることはありますか?
印象深いのは、業務改善(QI)活動として行った初期研修改善プロジェクトですね。自分はもともと感情ベースで動く人で、日々抱える怒りとか葛藤とかが行動のモチベーションになっています。このプロジェクトは自分ががむしゃらにぶつかり続けて、結果自分が後に残る形にできた最初のものでした。もともと自身が経験した初期研修の環境が理想的ではなかったと感じていて、後輩の初期研修医に充実した研修を経験してもらいたいというのがベースにありました。後期研修1年の秋にプロジェクトを立ち上げて、当初はスタッフの先生たちと何度もミーティングを重ねました。過去の先輩にもアンケートを取り、満足度や生の声をヒアリングして伝えました。やがて周りの先生も共感してくれて、半年ぐらいかけて研修プログラムを作ることができました。その後も努力を続けて、2年くらいかけてやっと文化になったと思います。しばらくはやっていて意味があるのかなと悩んだけど、次第に空気も変わってきて。やり続けていると見る人は見てくれていることを知りました。これが自分の初めての成功体験でしたね。

ー今は新天地にいますが、どんな思いがあって移られたんですか?
post258_2.jpg初期から6年亀田で研修して、達成した感じがあったんですよね。家庭医として研修の間、全力でやり続けて、診療でどんな相談を受けても受け止められる自信がつきました。もちろん分からないことは沢山ありますが、悩み方がわかるようになりました。自分の理想の家庭医像は「年齢、性別、臓器のみならず、人種、文化、民族、宗教、セクシュアリティ、能力に関係なく全ての人をありのまま診ることができる医師」だと思っていて。一般的に医者は人を問題に切り分けて評価していくことが多いですけど、人間には切り取れるとこもあれば、うまく切り取れないところもあって。そういう曖昧なものを、曖昧なまま、人として診られる医師になりたいと思いました。例えば病気があっても草花が好きで自慢の庭を作っていたり、絵が上手で人のこころを動かす作品を作っていたり。病気があっても健康で幸せな人はいっぱいいると思うんです。そういう、人が持つ強みとか力を支える仕事をもっとしたいと思いました。

ー亀田のいいところを教えてください。
とにかく仲間の存在です。沢山の仲間がそれぞれの思いで集まっていて、面白いことをみんなでやっていこうとしている、亀田家庭医の雰囲気がいちばんの魅力だと思っています。亀田家庭医はやりたいことを相談したら、やれる方法をみんなで考えてくれる場所です。多様な価値観を当たり前に受け入れることはとても難しいことで、それが文化になっていることは他にはなかなかないことだと感じています。

ー働いていて、今までにやってきたことがいきていると感じる瞬間はありますか。
post258_3.jpg春からは長野県軽井沢町の「ほっちのロッヂ」という新規開業の診療所に移り、新しい仲間と一から地域でのケアの文化を創り上げていく活動を行っています。新しい環境には移りましたが、よくみる慢性疾患も難病も、予防医療も地域との関わりも、全てに根拠を持って実践する亀田の文化で育ったことで、診療のセッティングが違っても自信を持って診療できると感じています。また、日々の診療から家族や地域をみる視点であったり、家庭医としての診療の幅広さであったり、フェローシップで学んだ組織運営の知識や実践の経験であったり、他職種との連携であったり、様々な経験が生きていると感じます。

ーあなたにとって亀田家庭医とは?
「土」ですかね。石ころもあれば、いろんな肥料も、水分も、ときには虫とか小さな生き物も入っていて。そこで様々な営みがあって、どんな種を播いても、すくすくと育っていく。そんな豊かな土壌が、亀田家庭医だと思います。

ー未来の亀田家庭医にメッセージがあればお願いします。
無限の可能性がある亀田家庭医という場所で、楽しいと思うことやワクワクすることを、迷わずやってください。実現するかどうかではなく、気持ちがHAPPYになるようなことを、それぞれの人が夢中で取り組める。これからもそんな亀田であってほしいです。

このサイトの監修者

亀田ファミリークリニック館山
院長 岡田 唯男

【専門分野】
家庭医療学、公衆衛生学、指導医養成、マタニティケア、慢性疾患、健康増進、プライマリケア・スポーツ医学