まにあいたい

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人生の最後におけるケア

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70代男性。もと社長さん。昔は、かなり派手な暮らしをしていた。内縁の妻と同居し、先妻の間に子供がいる。
肺がんで手術し、術後の化学療法を行なった。食思不振が続き、原病の悪化と考えられた。本人、家族と相談し、BSCの方針。病院で最後まで過ごす予定だった。
病院で過ごす中、ADLがベッド上になってきて、診察やケアを拒否するようになってきた。妻からも、食事がとれないなら家では見られませんと言われていた。
さらに状態悪化したとき、妻が帰宅しようとした場面で、本人が「俺も家に帰りたい」と言った。改めて、関係者で相談し、自宅に戻る方針に変更となった。
退院前カンファを行い、在宅医もきてくれて、具体的に家に帰れる道筋がたったが、退院前日に意識レベルが急速に低下。子供も向かっていたが間に合わず、妻立会いで、そのまま病院看取りになった。

家に帰れないままで、「間に合わなかった」と思った。
その「もやもや」を分析することにした。

MOYAMOYAの分析

MOYA1:本人の気持ちをどう聞き出すべきだったか
本人が不在のときの意思決定の原則としては、「本人だったらどうしてほしいと思うか」という前提にたったほうがよい。
→本人の思いや大切にしたいことを聴取するために、ライフレビューや多職種アプローチを。

MOYA2:退院直前の急変を予測できなかったか。
本人の診察拒否を理由に評価がおざなりになっていたかもしれない。
ガンのIllness trajectoryとして、最後に急速に落ちてくるタイミングにしても、その中でさらにどの段階にいるのかを分析するツールがあればよいと思った。
晩期死亡前徴候というツールがある。
→死亡直前の予後予測とそれを活かしたマネジメントをしたいと思った。呼吸様式や顔の変化、尿量などに注目したい。

今後は、患者、家族の想いを実現するために、工夫していきたいと思う。

ディスカッションでは、
本人の意向を聞こうとしたのかどうか、家族の関係性について着目したかどうか、前医で予後の見立てがどのくらい話されていたのか、担当医として患者さんに対してどういう気持ちを抱いていたか、この事例の看取りのゴールをどう考えていたのか、家に帰ってしたいことが病棟では実現できないのか、予後予測はピンポイントで当てる必要はなく刻んで考えるのがよいのでは、予後は告知したほうがよかったか、など、色々な方向性で議論が深まった。

総括として、
本人の判断能力が信頼できるものだったのか、うつ状態はなかったのか。
病院コースの研修として、入院してきた人と関係性をどう作るのか、を大事にして欲しい。
元の外来主治医とICのときに同席したり、前医から患者さんへ紹介してもらえれば、前医からの引き継ぎがスムーズになる可能性もある。ジェネラリズムの継続性にもなる。
ジャネーの法則を考えると、予後告知をすることで、1日の過ごし方が変わったかもしれない。終末期はその人の人生を清算する時間なので、亡くなった場所が大事なのではなく、どう終えることができたか、どうサポートすることができたか、のほうが大事。どう死に向き合うか。
この事例との節目として、お焼香にいったり、妻に電話したりしてもいいかもしれない。

参考:
ジャネーの法則:https://true-buddhism.com/teachings/janet/

このサイトの監修者

亀田ファミリークリニック館山
院長 岡田 唯男

【専門分野】
家庭医療学、公衆衛生学、指導医養成、マタニティケア、慢性疾患、健康増進、プライマリケア・スポーツ医学