二足歩行2

ヒトの二足歩行に関するもっとも古い資料は360万年前のアウストラロピテクスの足跡の化石であると言う。火山灰の上を歩いた足跡がどうして化石になったかについては省略するが、北タンザニアのラエトリ川床にあるこの化石は三人のもので、大股の足取りは141cmから150cmの身長のある二人の大きな個体と横を歩く手を繋いだ子供のものであると言う。注目すべきは大きい方の個体が小さい方の後を追っていて、先行する足跡の中に正確に足を踏みいれていることである。これは一見何でもないことのように見えるが、歩行と言う原始的な動作に視覚情報を取り入れた意志(大脳)による調節が完璧なまでに行われていることを示している。

ハイイロガンならぬ我が人類の子供たるや歩行に関わる一切の神経機構を大脳・小脳の働き無くしては構成でき無くなってしまっている。ヒトの子が一人で歩けるようになるのは小脳の神経構造が生後完成する時期と一致している。その代わりヒトの子では指で握る力は生後すぐに自分の体重を持ち上げるに充分な力を発揮する。ヒトの子は自分で走らなくても母親にしがみつけさえすれば危険から脱出できるためであろう。ハハイロガンで観察された、走ることと、立つことに必要な神経構造の差はヒトでは無いように見る。

ハイイロガンが生後すぐに走れることの神経生理・解剖学的研究が行われているか否かについては、著者は不勉強でよく知らない。しかし、その発達の順序からして走ることのために必要な神経機構はごく単純なものでよいことが考えられる。

パルテノン神殿のレリーフの中に背中に矢の刺さったライオンが後肢を引きずりながら前肢で這っている彫刻がある。これは脊髄損傷のモデルとしてよく引用されるが、脊髄に損傷があると脳からの司令が届かなくなるため後肢が麻痺して正常の歩行ができ無くなってしまうことを実に見事に観察している。しかし、かつてヒトの脊髄損傷のモデルとして犬を用いた実験が行われた。脊髄を胸髄で切断すると、当初犬の後肢は矢の刺さったライオンのように麻痺してしまい、前足だけで後肢を引きずりながら歩くと言う哀れな時期がある。しかし切断後2ヶ月もすると、不完全ながら後肢は土を蹴るような運動をするようになると言う。そのうち前肢のリズムとは一致しないが、自己のリズムで体重を支えて走ることも可能になると言う。これは損傷された脊髄が回復し脳からの司令が届くようになったのではない。この時の後肢の歩行には大脳からの司令は一切届いていない。損傷部以下の脊髄が脳から独立してリズムを作り、順次左右の足を前に送りだし、地面を蹴る作業を行っていることを意味している。ムカデの足で見られたように、屈筋や伸筋をを支配しているそれぞれの神経細胞の集団(モーターニューロンプール)の間の情報交換が脊髄内で働いていることを意味している。

世は車万能の時代、どこに行くにもすぐに車を使ってしまい二本の足で歩くことすら忘れてしまった。しかし反面、健康維持のために万歩計が売れていると言う事実もある。しかし万歩計の効果を誤解してはいないだろうか。足が弱らないためだけに歩くのではその効果は半減する。ヒトにとって二本の足で歩くことは大脳の活動を賦活化させていると言う事実を忘れてはならない。

著者の英国留学中の留学生中間に数学を専攻している友人がいた。彼は、晴れていようが雨であろうが午前中は散歩をするという。散歩中に定理の解法を考え続けるという。午後研究室に戻り、考えついた解法の証明を試みる。そして日が暮れて、「あーあ、今日も駄目だった。」といって眠りにつくそうな。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療