二足歩行1

何度も同じ過ちをおかすヒトを罵倒する言葉に「この鳥頭が!」という。鳥類にとってははなはだ侮辱的な言葉であるが、多くの鳥は本能の赴くまま生きていて学習機能の劣っているものが多い。たとえ手乗りナントカでヒトを恐れない鳥ですら心が通う鳥は少ない。彼等はヒトの手に興味があるのではなく、ヒトの手にある餌に興味がある。これは鳥類が爬虫類から別れたときのままの頭脳を持っていることによる。しかしカラスの様に優れた学習機能を持つ鳥もあることは忘れてはならない。

人類が開発した文化・文明で人類は果たして幸せになったか?この命題は大きすぎて、ここでは扱い切れない。しかし人類が動物機能の基本である空間的移動を二本の足に任せて、余った手を創作の自由のために用いたことが言語機能の発達と相まって人類の文化・文明発達の原動力となったことは誰も認めるところであろう。このためにヒトの大脳の運動領野の中で、発声に必要な口唇・舌・喉頭と共に手指の占める割合は膨大な面積を占めるに至った。しかし体幹、脚の占める割合はそのまま取り残されてしまった。このことは二足で歩行することに大脳はそれほど重要な機能を要求されていないことを意味してはいないだろうか。このことは、二足歩行はどんな動物にもちょっとしたチャンスさえあれば可能なことのように見える。

事実、哺乳類よりもずっと以前に爬虫類からたもとを分った鳥類は地上に降り立った瞬間から二足歩行を行っているではないか。しかし彼らは腕を創作の自由のためではなく、大空を飛び回る自由のために用いた。この大空を自由に移動できる能力は人類にとって夢であった。中学生の頃に英文法で「仮定法過去」の例文に必ず"If I were (was 口語) a bird, I could fly to you."という文章があったではありませんか。過去のどこまで遡れば、鳥になるチャンスがあったのかは誰も教えてはくれないが。もっとも、大空を飛ぶ自由を放棄してしまった鳥もいるが、不要になった翼を創作の自由に用いるには残念ながら鳥類の大脳は知的活動を行えるだけの準備ができていない。

このように、二足歩行そのものは高度な神経回路を必要としていないように見えるが、ヒトの二足歩行に関する生理学的研究は驚くほど進んでいない。ノーベル賞を受賞した動物行動学の大家ローレンツ博士は鳥の歩行に関して貴重な観察を行っている。「あわれな(ハイイロガン)のヒナが死にものぐるいで私を追って走ってきていた。ヒナはまだ立っていることさえできない。しゃがむことができるだけだ。ゆっくり歩いても不安定でよろよろする。だが今はのっぴきならぬ必要に迫られているので、必死で突進してくることができるのだ。多くの鶉鶏類ではヒナの運動能力はこのように注目すべき、しかも目的にかなった順序で成熟して行く。とくにヤマウズラ類やキジ類のヒナはゆっくり歩いたり、たちどまったりできるよりずっと以前に、走ることができる。」彼はこの神経機構については何一つ言及していないが、立つこと、歩くことと、走ることには明らかに必要とする神経機構に差があることを示した重要な観察である。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療