許せないもの1

 仕事で疲れて帰宅したときの女房の寝顔、禁煙主義者の運転する自動車の排気ガス、コチの泳ぎ。世の中には許せないものがある。前二者については説明の必要はなかろう。

 コチの泳ぎについては多少の解説が必要と思われる。コチについては御存知の方も多いと思われるが、三角の頭をし、体の平たくつぶれた不格好であるが、大変美味な魚である。その食性は獰猛でキス釣りに飽きて竿を放りっぱなしにすると、釣れたキスにマゴチが食いついてくることがある。

 生命の誕生が水中であったことは多くの科学者の認めるところであるが、水中の分布について明確に記したものはない。著者の推測では誕生したばかりの生命は現在のプランクトンのごとく、水中を漂っていたのではないかと思う。進化の過程でどの様にして魚類が誕生したかについては、幼生の成熟化(ホヤの幼生がきわめて魚類に近い形をしていること、ヒトが類人猿の赤ん坊に似ていることなど)という魅力的な仮説が存在するが、その真偽の程はさて置き水中を漂うプランクトンを主な栄養源とするからには中間層をその縄張にしていたに違いない。しかし更に魚を襲う魚が出現すると、この中間層も安全な縄張ではなくなる。敵から身を守るためにコチやヒラメは水底に潜んだ。落ちこぼれた。

 どの世界にも落ちこぼれは存在するが、この落ちこぼれこそ実は進化の過程で次の世代を担う主役になるのである。音楽家山城祥二でもある科学者大橋力によれば、DNAに書き込まれた情報のうち、生活環境が快適であれば「本来」のものとして常時立ちあげられているものと、生活環境が厳しくなったときに「適応」するために発動する情報の二種類があるという。快適な生活環境を追い出された落ちこぼれがより厳しい環境に「適応」するためにそれまで使用していなかったDNA情報を利用するのか、適応のために新たなDNA情報が書き込まれるのか不明であるが、弱者--落ちこぼれが新たな環境に適応するために変化する。いや、変化し得たものが新たな環境に適応できるのかも知れない。これがヒトに至る動物の進化の基本であるように見える。

 脊椎動物が胎内や卵包内で最初に行う運動はsnakingという、丁度ヘビの歩行で見られるような体をくねらせる運動である。実は、この運動はヘビに始まったわけではなく、魚から始まる脊椎動物の基本的な運動形態である。魚は微妙な動きはヒレを使って行うが、強力な推進力はこの脊椎を中心にしたsnakingの運動で得ている。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療