左右・天地・遠近の概念と反射2

 網膜に投影された像の座標面は、天地の軸を中心にそれぞれ左の座標画面と、右の座標画面に分割されている。左の脳は、中心から右の対称物のみを認知し、中心から左の対称物は見えていない。右の脳は逆に、右の対称物は見えていない。左右の脳が脳梁と呼ばれる連絡線維で連絡されているから、この2画面があたかも1画面であるかのように合成されている。

 さらに、左右の眼球の網膜に投影された映像の微細な差から前後関係が生じる。自分から近いのか、遠いのかである。ここで始めて三次元が構成される。Martin Gardnerがその著書「自然界における左と右」の中で述べている、「鏡の中で逆転するのは、鏡に対して直角な軸、前後の軸だけである」と。すなわち、左右の画像の微妙なずれで生じた、言い替えるなら、脳の中で再構成された認知 - 奥行きだけが逆転していると。

 さて、話をもとに戻すと、鏡の中で自分の顎を縫合する羽目になった著者が一番苦労したことは、前後関係-自分から遠いのか、近いのかであった。持針器という道具で、糸のついた針を、皮膚に突き刺す動作で、針を刺す位置は何の苦労もなく捜せる。ただ、針を刺そうとすると、これが顔から遠のいてしまうのである。Martin Gardnerは正しかった。

 もしも、これが信じられない方は、次のような方法で試してみてほしい。まず、豆のような小さなものを鏡の前に並べて、右から順に箸で摘んでみる。次に、同じことを豆と目の間に衝立を立てて、鏡の中の像で試してみる。右のものは、右に見えていて、左右関係の中では正い位置に到達できるが、箸が、前後方向で逆に動くことに悩まされるはずである。

 鏡の中の物は、右手にあるものは右手に存在する。左手にあるものは、左手にある。少しも逆転していない。逆転したと感じるのは、写真に写る自分の世界を想像して、これと比較するからである。自分の姿を対称物として見た場合、鏡の中の世界は、遠近の軸を中心に逆転している。丁度スライドを裏返して投影した像である。裏返し方には、二通りある。縦軸を中心に回転する場合と、横軸を中心に回転する場合である。どちらも、像は、元に戻るのだが、縦軸を中心に回転すると、左右が逆転する。横軸を中心に回転すると、上下が逆転する。とても奇異に感じてしまう。なぜ、上下が逆転すると奇異に感じるのか?

 なぜ、脊椎動物が左右対称の形態を取るようになったか、なぜ、上下対称ではなかったのか? 視野の分割が左右で分かれてそれぞれ反対の脳に投影するのか? なぜ、左右がそれほど重要になったのであろうか。クラゲに至っては、前後も対称であるが・・

 もうお分りと思うが、左右に像を振り分けて認知している我々の脳においては、左右の概念と、天地の概念は完全に異質なものである。

 すなわち、左右を分割する、中央線の走行方向-天地の概念は、生命の誕生よりずっと以前から規定されていたのである。それは、「天地創造」以来、地球の引力が規定していた。

 この引力による生命体の構造上の制限は、浮力によって重力がきわめて軽減されている魚を始めとする水中生物では僅かである。彼らは、浮袋によって天地の関係を保っている。魚の腹が白いのは空の色、背が黒いのは深みの色。保護色である。上下が反転すると、すぐに敵の餌食になってしまう。それ以外は、彼らが逆に泳いではいけない理由はない。

 しかし、地上に這い出した脊椎動物にとって、天地を決定している重力は、大きな課題となる。特に四肢の運動機能と、その反射様式にとっては、まさに足かせとなる。重力を克服したかに見える鳥ですら、この課題を免れてはいない。彼らもまた、一生空に居られる訳ではなく、眠るために地上に降り立つ。このことは、先の章で述べたい。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療