左右・天地・遠近の概念と反射1

 著者はアマチュアであるがヨットにのる。シングルハンドという言い方がある。一人に腕は二本あるのだから妙な言い方と言え無くもないが、時にシングルハンドのことがある。「一人でいるのが、一番気が合う。」

 あるコメディアンT氏がテレビで売れてお金持ちになったとき、お金持ちのシンボルであるヨットのオーナーになった。ま、パワーボートを買わなかっただけ認めてあげるが・・オーナーになって間もない頃、御他聞にもれず怪我をした。ブームパンチである。セールの下にはブームと言う横桁がある。追い風でセーリング中に、操船を誤るとセールの裏に風が廻り、突然ブームが反対側に飛んでくる。この時不幸にも、(偉そうに)ブームの下に立っていると、パンチを食らう。彼は額を切っただけで済んだが、これは時として命の危険を伴う。脳振盪と落水は最も危険な組み合せである。不幸にも、世界一周のヨットレース中に失意のなかこの世を去ってしまったわが国有数のヨットマン、多田雄幸氏の操船姿を写真で見たことがあるが、きちんとヘルメットを被っていたのが印象的である。

 シングルハンドで一番困るのは怪我・病気である。著者の小さなヨットにもちょっとした手術道具と沢山の薬は常備してある。しかし指の怪我と顔を含む頭の怪我はシングルハンドでは一番困ったものだ。縫合には両手が必要である。片手で手術道具を操るのはむずかしい。指の怪我は、困ったことが起こる。

 次がこの章の本題、鏡の世界の問題である。シングルハンドのときにちょっとした不注意から顎を切ってしまったことがある。顔面・頭部の怪我は結構出血する。さて、手術道具を並べて縫合しようと思ったが、なにせ場所が顎である。自分ではここは見えない。

 やむなく、鏡を取り出して鏡の中の自分の怪我を縫合する羽目となった。これが大変むずかしい。鏡の問題にぶつかる。

 女性は、鏡の中で御自身の顔を扱うのになれておられるので、著者ほどのまごつきは無いのかもしれないが。鏡の中では空間情報が反転する。

 この古くかつ永遠の命題、鏡の世界の左右逆転の問題にふれよう。結論から述べると、脊椎動物の大脳が、いや、大脳だけでなく、体の隅々にわたるまでほぼ左右対象形に2分割されていることに起因するのではないかと、筆者は考えている。

 我々を取り巻く世界は三次元の立体構造をしている。従って、概念として三次元が存在するかのような錯覚にとらわれる。しかし、我々の神経機構には二次元までしか存在しないのである。眼球の網膜に投影された映像は二次元である。

 不思議なことにそれぞれの眼球網膜に投影された映像は中央で二分割され向かって右側の映像は左右の眼球ともに左の脳に、逆に向かって左側の映像は右の脳に、その信号が送られるのである。すなわち最も大切なことは、鼻の向きに対して対象物が右手にあるか左手にあるかである。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療