当直室の電話1

 電話のベルが何処かで鳴っている。暗闇の中を音のする方に手を伸ばし、電話機を探し当て、受話器をとる。女性の声が何かをまくし立てる。その意味がよく分からない。電話を切る頃になって自分が当直医であることを思い出す。とにかく電話の相手の病棟を聞くのが精一杯、電話指示などできるほど脳味噌は回っていない。明りをつけ、呼び出された病棟に駆けつける。飛んで行ってみると、何のことは無い、「誰だれさんが熱を出しているので、解熱剤を使ってもよいか。」「お願いします。」の一言で用事は片付く。医学部を卒業し、医師免許を頂いた直後の当直である。3ヶ月も経つと、電話のベルで脳味噌はすぐに「当直医」になれる様になる。

 脳の準備状態の様相がここにはある。まず、一番最後に入力された「当直医」である認識。「当直室」の空間的記憶。これらは腹を括って構えないと、大脳皮質に保持されない。しかし両手で電話機を探る動作について考えてみると、不思議なことがたくさんある。両手で探っているにも関わらず、世界は一つである。右手の世界と左手の世界が有るわけでは無い。またどこに電話機が有るのかという空間の記憶は失われているにも拘わらず、手を動かしているが絶対に世界は動いていない。暗闇でありながら自分を取り巻く空間は厳然としてそこにある。手のひらの感覚入力だけではこれは説明できない。知覚には大脳皮質に準備状態の存在が必要である。前二者の準備状態は脆く、後者の知覚は絶対のように見える。コペルニクスが地球は回ると言ったとき、人々の脳にあるこの自分を取り巻く空間の絶対感に対して、挑戦状を叩き付けたのである。視覚情報も同じ様に空間の絶対感に支えられている。自分で頭を動かしても世界は動かない。世界は厳然としてそこにある。コップの水がこぼれるような振動の有る電車の中で本が読める。こうした知覚処理はどの様にして獲得されたのだろうか。

 夏のある日シュノーケルをつけて、水中散歩と洒落込む。正確には種類は分からないが、イカの群れに逢った。最初はイカの群だとは気がつかなかった。小さいのを先頭に群れ全体で三角錘の形をしていた。なんと彼らは足をすぼめてヒラメが背鰭・胸鰭を波打たせて泳ぐように、体側の鰭を波打たせて静かに足の方向に泳いで行く。近付くと途端にジェット推進器を使って素早く反対方向に逃げてしまう。これで彼らの目が足の方についている理由が良く分かった。実は、もっと脅かすと大きいイカは大きな墨を吐き、小さなイカは小さな墨を吐いてその中に逃げ込むそうである。このジェット推進器である漏斗は自由な方向に曲げられるそうであるが、その泳ぐ方向は一方向性である。生き物の中で一番大きなイカの目は泳ぎでぶれる事はなさそうである。一方、ジェット推進器を持たない魚類が最大の速度を出すには、尾鰭の左右への振り回しが必要である。背鰭を立てて直進性を補助しても、頭は尾鰭の振りと反対方向にぶれる。この時眼球が頭と一緒にぶれたら、彼らの世界はぶれて仕舞うだろう。これでは追いかけている餌を見失ってしまう。頭の方向に拘わらず、眼球を目的物に固定したまま追いかける巧い神経機構が必要である。

 我々が揺れる電車の中で本が読めるのは、じつはこの頭の位置に拘わらず眼球を目的物に固定するシステムが存在していることによる。センサーは三半規管である。出力は眼球を動かす筋肉である。反射の中枢は脳幹にある。この反射回路そのものは入力・出力のみでフィードバックシステムを持たないきわめて単純な構成である。しかし、さらにこの反射回路には小脳が信号傍受の形で介在し、網膜情報に本当にズレが無いかどうかをチェックする補助回路として機能している。この小脳の抑制回路は小脳機能を分析するのに鍵となるほどのものであった。

 この回路が頭の動きに対する眼球のジャイロスコープのような作用だとすると、逆に動きの有るものを眼と首の動きで追いかける場合や、視野の周辺に飛び込んできたものに対してそれを顔の正面で直視する場合は、どのような機構が存在すれば良いのであろうか。まず眼球運動が起こるであろう。ついで、眼球の動きよりは遅れて首の回転が追従し、顔の正面に対象物を捉える動きが起こるであろう。テニスの試合を観戦している観客の事を思えば良い。しかし、観客は自分の頭が左右に回転していることを誰も意識していない。三半規管は頭の回転を一生懸命感知し大脳に情報を送ろうとしている筈である。どこで、この情報はキャンセルされているのだろうか。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療