月がとっても青いから1

 「月がとつても青いから、遠回りして帰ろう」かなり古いが菅原都々子のヒット曲である。この恋人達は寒さに凍えながら散歩したことだろう。月が季節によってその高さを変えることを御存知だろうか。月の高さと言ってもなかなか難しいが、いわゆる南中高度といって、最も南に来たときに地平線からどれくらいの仰角をとるかという多少難しい話になる。太陽は、御存知のように夏至の昼12時に最も高度が高い位置に有る。この太陽の高さが、日本の四季を彩るので、太陽の高さを理解するのは難しくない。ところが、月の高さは四季を作るわけでは無いので、その高度と言っても、ピンとこない。月は真冬に最も南中高度が高いそうである。つまり、真冬には、月の光は空気中を通過する距離が最も短く、したがって青く見える。菅原都々子の歌はじつは真冬の歌であった。

 満月の夜は星が少ない。星座は楽しめない。星のまたたきは半減する。しかし、現代人は星座を見て暮らす習慣がなくなってしまった。一緒に心のロマンも薄れてしまったかの感が有る。渡り鳥の中間では星座の記憶が遺伝的に伝達されているそうである。星を見たことのない人口飼育の鳥をプラネタリウムの部屋で放すと、渡りの方向に飛ぶそうである。ところが、わざと星座の位置を間違えたプラネタリウムの中で放すと混乱が起きると言う。地磁気の北を示す羅針盤の発明以前は、人は星座を見て航海や旅をした。羅針盤の発明は革命的であるが、人は磁石を脳の記憶装置の中には持っていないか、持っていても、それを感じとることはできない。視覚情報が異常に発達したヒトでは、コンパスの無い限り、北極星が旅の頼りになる。

 星がなぜまたたくのかの如く見える理由は、物理学者に考えていただくことにして、なぜヒトが瞬くのかを考えてみたい。第一の目的は角膜を涙で潤すためである。「ワニの涙」で述べるように、ヒトは魚の目のまま地上生活に突入してしまった。レンズだけは魚眼レンズでは見にくいので、球レンズから凸レンズに変わったが、角膜の基本構造は変化していないように見える。水が必要である。河童は、お皿が乾くと神通力を失うが、これは三分間の地上時間でカップラーメンが絶対に食べられないウルトラマンの発想につながる。物語りのサスペンス性を形成するのに一役かっている。我々の瞬目が、この、発想の原点に有るように見える。しかし、そのインターバルはもっと短いが、殆ど我々はそれを意識することなく行っている。反射回路が有ると考えられるが、角膜のどの種類の神経線維がこれを担っているのか明確では無い。瞬きは、また、角膜に何かが触れたときだけではなく、目の前に何かが飛んできたときのように網膜の情報や、大音響など聴覚情報からも、びっくり反射として誘発される。

 生理学者はその研究の手始めに、生理的に誘発される色々な反射の記録に血眼な時代があった。瞬目反射もそのターゲットになった。目の前で閃光を焚いたり、眉間をゴムのハンマーで叩いたり、大音響を聞かせて、びっくりさせる方法も試みられた。しかし、多くは実用には成らなかった。こうしたびっくり反射は、ある病的な状態で、この慣れ現象が無くなる状態以外は、正常人では慣れてしまって、反射が誘発できなくなってしまう。唯一、前頭部の皮膚の感覚を伝える三叉神経を電気刺激して、顔面神経に支配されている眼輪筋の活動を記録するblink reflex だけが一般に臨床応用されている。これは、正常人の反射の形とその現れる時間(潜時)がきわめて安定した値を取るので、経験則的に、色々な病気の状態を観察するのに利用できる。しかし、その反射の回路となると、三叉神経を上行し、顔面神経を帰ってくる反射であることは確実であるが、その、脳幹での経路となると、じつは、まだ決定的な解明はされていない。さらに、この反応は目の周囲の筋肉である眼輪筋の活動電位であって、目蓋が閉じるためには、さらに、上眼瞼挙筋という、顔面神経ではなく、動眼神経に支配されている筋肉が弛緩しないと、目蓋は閉じない。したがって、この人工的な反射が、生理的な瞬目の全てを語ってくれるわけでは無い。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療