つぶらな瞳1

 文学的表現も絵画や音楽同様、読者の心に準備状態があれば作者のメッセージが淀み無く注入される。ところが一語に疑問を持つと疑問符は増幅され、メッセージの注入作業は停止する。

 「つぶらな瞳」の解剖学的特徴をどう記載すればよいのであろうか。ネコの瞳は明るいところでは縦長になるが、人の瞳は、特殊な場合を除いて、円い。瞳の円くない人を探すのは容易ではない。こうしたステレオタイプの表現は、少女コミックの主人公の瞳に輝く星のごとく、言語としての内容よりも、主人公のイメージを読者の頭のなかに想起させるキーワードとして作用しているのであろう。キーワードであるが故に、解剖学的意味不明を超越した陳腐さが要求される。また、陳腐であるがゆえに共通体験のように見えるが、実は想起されるイメージが読者毎に違っていてもその責任は一切とらない。

 我ら脳神経外科医の間では、患者さんの意識状態を示す指標の一つに「キラ星スコアー」なるものがある。原因は何であれ、意識障害から患者さんが回復する過程で、言語によるコミュニケーションが成立するか否かを見る方法として、「ジャンケンのグーを出して」「チョキは」などと話しかける。この言語命令に正確に反応すれば機能の回復が期待できる。しかし、まだまだ道は険しい。こうした、言語命令に対する反応は、あくまで大脳の受け身の情報処理を観察するに過ぎない。さらに、意識の改善が期待できる場合には、瞳に力が出てくる。これを我々は「キラ星スコアー」が上がってきたと言う。まるでヨーロッパのホテル一覧の如くである。

 「目は口ほどに物を言い」。何が「目の力」なのか、目のどこが「物を言う」のか。客観的数値データとしての必要性から、皮膚抵抗の変化を定量的に測定する嘘発見器が開発されている。しかし、定量的では無い点、他人を説得する材料になりにくいが、我々は相手の目を見て嘘を見破ることが可能である。

 目の動きも重要な要素ではあるが、瞳孔の大きさが鍵になっているようである。大きな瞳は人の心を吸い込むほどの力がある。円を収斂すると点になるが、点は円であると認識することはできない。「つぶらな瞳」の反語は「目が点」か。

 瞳の大きさに関係した反射である対光反射は、人の反射の中で代表的なものである。この反射が網膜に入力される光の量を調節すると言う生理学的目的は、医学生ならずとも、衆知である。カメラに例えるなら、焦点距離はf=20からf=2.5まで、絞りは32:1に相当するという。また、この反射はその反射中枢が脳幹にあり、この反射の消失は脳幹機能の停止状態を示すから、死亡確認での脳死状態の確認として簡便であり、古くから用いられてきた。しかし、脳死臨調の答申を待つまでもなく、この反射が消失したからと言って脳幹機能が停止したとは言い切れない。

 瞳孔の大きさに関係する反射として、対光反射以外にも、近くのものを見るときに縮瞳する近見反射、その他、交感神経や副交感神経の影響などが挙げられる。薬物の直接的影響も無視できない。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療