日本人の英語2

 前に、飛魚が飛ぶのを見られる人と見られない人がいることを書いたが、言語に関しても、「こう言うであろう」という準備状態がないと聞き取れない。すなわち、視覚情報で飛魚の飛ぶ姿を準備していれば飛魚と見えるが、本当はダボハゼかも知れないあやふやさは容認されるごとく、聴覚情報でも、許容範囲でのマッチングが情報処理には最も大切なことのように見える。

 かつてレコード版で音楽を楽しんでいたときには、レコード版に針を乗せると、まだ演奏が始まっていない部分にいわゆるゴースト現象で小さな音で演奏の冒頭部分が聴こえることがあった。これは、マスターテープに転写されたものが、そのままレコード版の溝に刻まれる物理的現象で、幻聴ではない。しかし、音楽をコンパクトディスクで楽しむようになっても、何回も聞いたことのあるディスクだと、完全に無音状態であるべき曲間に次ぎの曲の旋律が聴こえることを経験したことは無いだろうか。この間思考は中断する。何か仕事をしながら音楽を楽しむ場合、CDプレーヤーのランダム演奏のスイッチを入れるとよい。この幻聴は起こらない。

 著者の大学病院では、院内のドクターコールに一世代前のページングシステムを使用している。いわゆるポケットベルのローカルネットワークである。しかし、どこからのコールかの表示はされない。二世代前のシステムでは製品ムラが大きく、それぞれ、音に個性があって、自分のコールが鳴っているのか、他の人のコールが鳴っているのかが区別できた。しかし、ICの発達で、この製品ムラが無くなると、コール音が均一になり、カンファレンスなどで沢山のドクターが集まると、果たして誰のコールが鳴っているのかわからない。このため、著者のコールには、自分でビートルズのイエスタデイの音楽ICを組み込んだ。これは大正解、コールされているのは自分であることが分かる。バッテリーの充電状態で多少の変化はあるが、鳴るのは冒頭の1小節だけである。ところが、ここに落し穴があった。カンファレンス中にこれが鳴ろうものなら、ディスカッションは完全に中断する。

 皆の大脳皮質は、しばらくの間イエスタデイの続きの旋律が駆け巡ってしまうのである。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療