日本人の英語1

 産業最優先の国策のお蔭で、日本経済は世界有数のものとなり、外国製品は相対的に値下がりする一方である。現地価格では、目玉が飛び出すような高級品ですら、うら若き独身女性の購買能力の射程距離に入った。海外旅行とショッピングは今や独身OLの常識である。

 ただし、である。何事にも但し書がつつく。島国である我が日本は西欧の植民地政策から難をのがれ、言語の純潔を守ってきた。中学高校計6年の英語教育のお蔭で、高校卒業者であれば英語理解力はかなりのものである。しかし、独身OLの海外旅行で待ち受けているのは、言葉の壁である。だから、外国の若き旅行者のように単独旅行では無く、いわゆるパックツアーにしか乗れない。

 著者が英国に留学したときにOxford大学に、やはり日本からの解剖学の研究者が留学しておられた。彼は殆ど毎日チャイニーズレストランに入り浸り、散髪までレストランのかみさんにしてもらう程であった。研究者の毎日は研究室では孤独なものである。言葉はいらない。会話の試行錯誤がなければ、喋れるようにはならない。そのチャイニーズレストランのかみさんが訝しがる。「あのドクターは、あんな英語力でどうしてGardianが読めるのかしら。」因みにGardianと言うのは英国のインテリ向けの新聞で相当な英語力がないと読めない。反対に、外国にいる中国人達の英会話は達者である。

 米国本土に、無視できない文盲率があると聞く。彼らは、聾唖者や盲人ではない。ちゃんと喋れるし、ちゃんと聞ける。読み書きができない。この差は何か、われわれ日本人は、読み書きが主体の英語教育を受ける。これに用いる大脳皮質は視覚領野であり、聴覚領屋は必要ない。一方、チャイニーズレストランのおかみさんや、文盲のアメリカ人の英語は、聴覚領野をもっぱら賦活させる英語と言えないか。

 英国ではガソリンはPetroであり、ガソリンスタンドではセルフサービスのところが多く、「レギュラーガソリン満タン。」と言う必要はない。アメリカに留学した先輩の話では、このregularが通じないと。しかたなく、irregularと言うとこれが不思議に通じると。著者が英国に留学して間もない頃、生意気にもパブで一杯やった。ビールの注文ぐらい英会話ができなくても可能である。さて、帰りのタクシーを呼ぼうと思って、店の名前を聞いた。カウンターのおっさんは「オイオー」と言う。何度聞いても「オイオー」と言う。??仕方無く店の外に出て看板を見た。そこに書いてあったのは、は「Royal Oak」。確かに、喋れない、聞けない。読めば分かる。この単語の発音・聞き取りのできないことが自分の英語のできない理由だと絶望的な日々を送った。

 しかし、月日を重ねるうちに、自分の言いたいことが相手に通じ、パーティーの席上でも会話の輪に入れるようになる。決して発音がよくなったとは思われない。英国にはたくさんのインド人がいる。多くの場合、彼らの英語はとてつもなくひどい発音をしている。それでも会話がちゃんと成立している。大切なのは単語の並び方が、英国人の単語の並び方と同じことだと気づいた。彼らが喋る単語の順番に単語を送り出してやれば、その発音が多少間違っていても、彼らの大脳では許容範囲として容認される。

 一方、日本人の英語は国籍不明で、文法的には完全に正しくとも、彼らが喋る順番に単語が並んでいないので全く理解してもらえない。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療