反射とは何ぞや2

 機能の面から考えると、基本的な動物としての反応形態は、ヒトに至る前に完成していると考えられる。肥大化した大脳の神経細胞を興奮させるには大量のエネルギーを必要とする。これは、生命維持のための省エネの基本原則に反する。一方大脳皮質の興奮を必要としない反応形態があり、これを脊髄反射と呼ぶ。すなわち、末梢入力からの情報によって、最もエネルギーを必要としない神経系の反応形態として脊髄反射を位置付けよう。このような情報処理機構を脊髄に残したまま、ヒトの大脳は巨大になった。

 大脳の大脳たる働きは、「思考」にある。しかし、その「思考」も、大脳が自然発生的な興奮を開始するわけではなく、末梢からの入力 - 視覚認知や言語認知も含め - に対する反応である。大脳皮質が間に挟まったような反応形態には、入力情報に対する出力応答が、恣意によりそのつど異なる可能性がある。このようなものは、反射とは呼べない。

 コンピュータープログラムには、サブルーチンと呼ばれる一群のプログラムがある。メインのプログラムの中では、演算や、分岐方法など一定の方式に則って繰り返し計算する場合が多い。この場合、メインプログラムの中に何度も同じプログラムを書き込むのは不経済である。サブルーチンと呼ばれる別の小さなプログラムを用意して、演算が必要になったときに、そのつど呼び出して計算を行う。

 反射とは、入力情報に対して、パターン化された、出力応答の演算サブルーチンと考えたい。その演算結果は初期値に依存し常に一定である。その目的は、入力情報に対する合目的な出力応答である。反射には脊髄反射だけではなく、大脳皮質を巻き込んだ高度な回路を用いているものもあるが、その基本は、省エネを目的とした独立プログラム集である。

 「ヒトは考える葦である」。しかし、ここにも哲学者の誤謬がある。哲学者も、生理学者も、解剖学者も、このヒト以前に完成され、「思考」以外の基本的な生物としての神経機構であり、生命維持に重要な、省エネ対策 - "反射" - の存在に目をつぶってしまった。ヒトはこうした神経機構の上に大脳皮質を乗せ、膨大なエネルギーを消費している。ヒト特有ではないこの反射の解析こそ、逆にヒトのヒトたる所以を知る上で重要なのではないだろうか。

 大脳皮質のエネルギー消費は、ヒトが許された最高の贅沢かもしれない。消費と浪費は違いますぞ。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療