ライフキャリア・レインボー×亀田家庭医 久保田希

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post304_0.jpgー久保田先生のおっしゃる「ライフキャリア・レインボー」について教えてください。
キャリア理論の1つで、1950年代に米国の教育者ドナルド・E・スーパーが発表したものです。おそらく多くの人が「キャリア」と聞くと、医師、教師、銀行員などといった職業のキャリアを思い浮かべると思いますが、この理論では、キャリアの要素は人生を通じて様々にあり、相互作用で深まっていくと捉えます。たとえば、人の役割は生まれてすぐ最初は「子ども」の役割しかないのが、学ぶ人としての「学生」としてのキャリア・役割や、家庭内の労働をする「家庭人」としての役割、趣味などを楽しむ「余暇人」としての役割、社会での労働をする「労働者」、社会を形作る「市民」、その他様々な役割がでたり・・・と多くの役割がでてきて、時期によってそれぞれが弱まったり強まったりします。大事なのは、その役割が虹のように多層になっていて、人生のいつの時期もどれかの役割が必ずあり、全体として0(ゼロ)になることはないということです。ライフキャリア全体としてみたら、キャリアは決してとどまることはなく、後退したり、なくなったりはしない。キャリアは絶えず進み続けるし、相互作用によって深まりを得ます。家庭医であれば、例えば自分の親の色々なことをやりとりする中で、患者さんの子どもってこんな風に感じたりするのかな、といった視点を得たりとか、学習者として学んでいく中でも以前に学んだ経験が生かされたり、余暇を楽しむ人としての視点が生かされたり...とか。私自身も、医師としての働き方や所属の変化、生活の場所や家族の形態が変化する中で、「子ども」としての役割、「パートナー」「親」としての役割、「市民」としての役割などであらたな視点が加わったり、「余暇人」としての趣味も「労働者」としての医師として患者さんやコミュニティへ伝える手段として生かされたり・・・時期によってそれぞれの役割は弱まったり、強まったりするのですが、総じて深まっている実感があります。

ー「ライフキャリア・レインボー」を意識するようになったきっかけは?
専攻医1年目に結婚し、その次の年の日本プライマリ・ケア連合学会の学術大会で、岡山家庭医療学センターの賀來(かく)先生のワークショップをお手伝いさせていただいたのがきっかけです。賀來先生は家庭医でありながらキャリアコンサルタント(国家資格)の資格も持っていて、キャリア教育の発信をしていらっしゃる方です。私はそこで初めてこの概念を知りました。その時ちょうど、子どもを持つことと生物学的な時期、医師としての仕事をどうしていくかの兼ね合いをついに考えなくては、と思っている時期だったので、このライフキャリア・レインボーという考えを知った時、肩の力が抜けました。ふと、身近な人達の生き方を改めてみてみると、...例えば自分の母も「労働者」として小学校教諭をしていて、第一子出産後は一度職場復帰しましたが、長子が2歳の時に実母が脳溢血で半身不随となり、介護者になる為に退職、親を介護する「子ども」としてと、小さな子どもを育てる「親」のキャリアが強まりました。その後しばらくして「余暇人」として以前に取得していた華道の資格を通じてお花を教えるようになり、さらに実母がお世話になった病院で患者さんに作業療法としてお花を教えるなどボランティアなどを行う場が広がっていきました。
まとめると、一旦「労働者」としての役割がなくなったようで、「子ども」「親」の役割が深まることで、「余暇人」のキャリアが生かされ、違う形での「労働者」や「市民」としての役割が深まり、それを通じて様々な人と出逢いながら豊かな人生を送っています。そのように、まわりにいるひと、とくに周囲の女性たちに多かったのですが、虹のようにライフキャリアのいろんなところが深まったり弱まったりしながらも深いキャリアを進む姿を目の当たりにしていたことに気づけました。そうすると私もずっと同じように医者だけをし続ける必要はなくて、今できるかもしれないことをやってみて、もしできなかったらまた考えればいいのかなと思えました。これは自分の中で大きな転機でした。医者になると決めた時点でもう子どもを持たずに仕事に生きようと思ったこともありました。

ひとりの人間は様々な役割を生きている

ー女性医師の方は同じような悩みを持っている方は多そうですね。
女性医師のキャリアについて書かれた本にも、女子医学生は、大学生時もしくは高校生くらいから職業キャリアと家庭、結婚、妊娠、出産などの兼ね合いを悩んで専門科を決めたりしている、一方で男性医師はそうではない、と書かれていました。私自身も高校の頃、医学部受験の面接の例文集に女子学生向けに「あなたはもし、結婚したり、子どもを持ったりしたら医師として仕事を続けますか?」と書かれていたのに強い違和感を持っていました。もしそう聞かれたら、「先生は男性医師が同じように結婚したり、子どもを持ったりしても、同じ質問をするんですよね?それならば答えます。」と言おうと思っていました。妊娠・出産だけは女性のもの、というのはわかるけど、結婚や子どもを持つのは男性女性と関係ないし、なぜ仕事との兼ね合いを考えなきゃいけないのは女性だけなんだろうと思っていました。なので、ライフキャリア・レインボーという、この視点を知っているかは男女・セクシュアリティ問わず大事だと考えています。なので、この概念を聞いたときにこのことを伝えたいなと思ったのは、きっと悩みを持っているだろうから女性医師たちに、とも思いましたが、もし悩みを持っていないのだったら、そうだからこそ、男性医師などにも知ってほしいと思いました。

ー今後社会がどうなっていけばいいと思われますか?
ひとって一人の人間でも、属性で切り取ると色々な見え方をします。なのでその人の背景にあるもの、家庭医療の「患者中心の医療の方法」風に言えば、コンテクストに着目しあえたらお互い優しくなれるのじゃないかと思います。例えば、家庭で過ごす時間が長い主婦(主夫)と外で労働をする人、どっちが大変なのと言う論争がありますが、それぞれが大変だと思うし、自分の中のライフキャリアの濃度やバランスが違うだけでみんなそれぞれの立場で大変だと思います。
post304_1.jpgもちろん、それぞれ違うからそれぞれいいよねとそのままにするのではなくて、私はこの属性においてこの大変さがあるからここはこう助けてほしい、と、同じ属性を持つもの同士が声を挙げるでもいいし、違うもの同士助け合う、でもいいかなと思います。ただ、自分が大変になりすぎると、ひとは他の人の大変さを気遣えなくなるので、その一歩手前で救えたらいいなと思います。お互い労いあえたらいいし、それでも問題になるならもしかすると「働き方革命」で指摘されているような、社会の枠組みが問題なのかもしれません。そうだとしたら、社会を変えていく動きをすればいいのかな、と思います。

全ての人がそれぞれの立場で大変だからこそ声をあげ助け合おう

ーキャリアの同じような悩みを持つ方にメッセージはありますか?
どの役割を経た辛さ、しんどさ、楽しみなどどれも家庭医だったら活かせると思います。色々な人に全人的に関わるので、要所々々で感じたあなたの視点が活きる時があると思います。なので、あなたがあなたとして感じた経験を形に残しておいたら良いと思います。職業のキャリアが中断したように見えるときは焦るかもしれないが、その立場でしか見えないことがあるからじっくり味わっていいんだよと伝えたいです。もちろん私自身も焦ってしまうこともあるのですが・・・。

ーそんな先生が家庭医と迷っていた科はあったのですか?
あまりないですが、強いて言うなら精神科ですかね。それこそ自分も精神的に不安定になりやすいのかなと感じることや、中学生のころに不登校の経験などもあり、それを解決する術を持ったらいいなと思いましたが、より様々な人やコミュニティや社会に関わりたいと家庭医を目指すことになりました。

ー先生は初期から亀田ですが、亀田を選んだきっかけは?
全国で有数の初期から後期までずっと家庭医療を学べる現場だったからです。
「家庭医の特徴のうち「継続性」だけは実際の外来を継続することでしか見えない世界があるよ」と院長に言われて、初期から6年間定期外来を持ち続けることのできる亀田家庭医に最終的に決めました。

ー亀田家庭医で学んだよかったことはありますか?
地域が限定されている中で診療所、病院といろんなフェーズが見れることですかね。あとは仲間がいっぱいいること。外に出た後も仲間に支えられています。
外に出た後も亀田ブランドを背負っているので背筋が伸びる思いがありますね。

ー先生が家庭医をやっていてよかったなと思う瞬間はありますか?
その患者さん自身だけでなく、他のこと、例えば家族の相談を受ける瞬間などですかね。透析患者さんのお孫さんの予防接種のことや不登校の子の祖母の介護の相談だとか。また、1人の人や、一つの家族の、時間を超えた成長に携われることですかね。あとは、どの経験も自分の糧になると信じられることですね。ポジティブ、ネガティブ問わず自分の人生が活かされることを実感できます。
post304_2.jpgキャリア理論の話でいうと、ライフイベントは起こること、パートナーを持つ、結婚する、子どもを持つなどに着目されがちですが、インイベントという言葉があり、逆に起こることを期待していたイベントが起きないこと、例えば、上記のライフイベントが起きなかったこと、や、思っていたところに就職できなかった、などを指します。転機というのは起こったことだけではなく、起こらなかったこともそのひとにとって大きな影響を与えます。なのでその全てが積み重なってその人の糧になっていきます。私自身の中にも様々なイベント、インイベントがあり、けれどどれも糧になると考えています。家庭医として振り返りが大切と言われますが、自分自身のライフイベントで感じたことを残していくようにしています。そういう意味でも、人生が糧になる、と思える仕事でよかった、と感じますし、さまざまな人々に出逢うときにそれを実感できることが多いです。

人生の「全てのこと」が糧になる仕事

ー専攻医としての生活はどうでしたか?
ある意味、医師としての「労働者」の視点がほとんどで、「家庭人」や「市民」としての視点がほとんどなかった時代かもしれません。遅くまで残って職場の方々と話したり、カルテを書いたり...仕事に没頭してましたね。仕事を通じて出会う人々から様々なことを学んでいた時期とも言えるかもしれません。

ーその時の経験がいきていることはありますか?
子育てをしている今、子どもたちや妊婦さんを診させて頂いていたのは本当によかったですね。知ってても不安になることもありますが...。その他も、家庭医として様々な人生の時期にいる方々を支援する立場に身を置いたことで学ぶことが多かったです。
また、ライフキャリア・レインボーや患者中心の医療の方法を知っていたからこそ、医師の職業キャリアが中断しているように見える今の私でも、今の私には今の私にしかできないことがあると思いながら過ごせています。
赤ちゃんから終末期まで、様々な人生のタイミングの人たちをみる、関わる経験、かけた言葉、それらが自分に返ってくること、それが良かったと思います。

ーあなたにとって亀田家庭医とは?
第二の故郷ですかね。そこで悩んだり、もがいたり成長したりした姿を周りの人が見ていてくれて、いつでも帰ってこれる場所です。

ー未来の亀田家庭医にメッセージをお願いします。
是非多様な人に来てもらいたいです。目的も手段もその先も様々な人が集まるこの場所にはこれからも多様な人に来てほしいし、色々な役割が活かされる場所があるので色々なものを背負ったあなたに来てもらいたい、あなたが来てくれたらまた亀田家庭医も深まるし・・・。とにかく色々な学びや成長をしてもらいたいなと思います。

このサイトの監修者

亀田ファミリークリニック館山
院長 岡田 唯男

【専門分野】
家庭医療学、公衆衛生学、指導医養成、マタニティケア、慢性疾患、健康増進、プライマリケア・スポーツ医学