はじめに

 著者は脳神経外科を専攻している。著者が大学を卒業し医者になった頃には今のようにCTやMRIといった画像診断の機械は開発されておらず、神経疾患の診断は患者さんの神経の症状から病気の部位と種類を推測する古典的方法しかなかった。これを「神経学的診察」というが、その基本は、反射の観察が主体をなしている。例えば、瞳を明るい光で照らすと瞳孔は収縮する。これは対光反射と呼ばれ、脳幹の機能を観察するために重要である。この反射はまた、患者さんが不幸にして亡くなった時に心臓の停止だけではなく、神経機能の停止も確認するために儀式的に用いられている。

 神経学の勉強は主にこの反射の種類とその観察方法、どんな病気のときに異常が見られるかを学習することから始まる。いわゆる神経学の教科書には、じつに多くの神経の反射が記載されており、その反射の誘発方法と観察の方法が羅列してある。いかにたくさんの反射を覚えて、応用することが神経学的診察には最も重要である。そして、実際に患者さんの診察に応用し、神経障害の場所を推定することができた時には大変感激する。

 しかし、著者の頭を悩ませる一つのことが常に存在した。どんな些細な反射であっても、そのからくりの持つ生物学的な意味はきわめて奥深く、絶対に「意味」を持っているはずである。その反射が、生命維持にとって「何故」必要なのか、ある種の神経の障害のときに、「何故」その異常な反射が出現するのかといった素朴な疑問である。しかし、そうした教科書はこの疑問については一様に口をつぐんでしまう。

 教科書の持つ宿命であるが、教科書の内容はその時代に概ね認められた、あるいはすでに証明された内容の範囲を越すことはできない。従って、時代が変遷し、科学が進歩して、科学的概念が変化したときには教科書は「嘘」を書いていると酷評される。証明されていない仮説を記載することが許されないのが教科書の宿命である。著者も、未熟ながら脳神経外科の教科書の一部分を分担してこの限界に直面した。

 今回掲載していく内容は、著者がかつて大学での医学生の教育に用いてきた講義録を基にした。学生に「何故」という基本的な問題提起を自分自身で持ってもらいたい為、漫談のような講義をしてきたのだが、興味を持ってもらえる学生は二割にも満たない状態で失望してしまった。また、現在では医師国家試験がとても難しく医学生はこれに向けて知識の修得に6年間を費やしてしまうという実状も影響している。医学部に入学することも容易ではなく、偏差値優先の受験戦争を勝ち抜いてきた「学習能力」の優れた学生が増加したこともあるのかも知れない。現在では、授業は知識の伝授「学習」を主体にせねばならない状況にある。

 これからお話していく内容は、著者が、素朴に疑問に思っていた、神経機構の中でも、「反射の不思議」を、著者なりに解説してみた言わば「仮説集」である。それらが著者の思い違いや、不正確な知識のためにバイアスがかかっているかも知れない危ないものであることは、著者自身が一番知っているつもりである。言わば「神経学随想」と理解していただければ幸である。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療