アイコスは何故売れるか

 人の反射の区別の一つに、病的反射という呼び名が存在する。しかし、同じ反射が時には原始反射と言う他の言葉で呼ばれる。この違いは何か。

 口の周囲を刺激すると無意識にこれに吸い付こうとする反射を吸い付き反射と呼ぶが、これは大人で見られれば病的反射であるが、新生児では普通に見られることで、この場合は原始反射と呼ばれる。

 南米の土人が神に捧げる香料として焚いていたタバコが、16世紀に欧州に持ち込まれ、欧州全土ならず世界に広まるのに一世紀を必要としなかった。現在では喫煙はインテリにとって踏絵に近い存在で、ヘビースモーカーである著者はインテリの席から転落してしまった。いや、最初から列席すら許可されない。(現在は幸いにも喫煙の習慣から離脱できた)

 現在は知らないが、著者が英国に留学していたときには、公式の場所での晩餐会には最後に女王陛下を讃える乾杯が済まないうちは間違ってもタバコをくわえてはならないと教わった。オックスフォードのカレッジディナーでゲストとしてハイテーブルに付かされたことが何度かあるが、アラビアのロレンスの肖像画の架かったそのダイニングルームは禁煙である。喫煙は、ポートワインやブランデーなどの食後酒と、デザートフルーツの準備された別室に移動してからゆっくり会話を楽しみながら許される。こちらとしては、ハイテーブルでのメインゲストとしての重圧からようやく解き放たれ、会話どころではない。

 そういえば、最初に読めと言われた論文は「喫煙者20年のfollow-up」という内容だった。喫煙嗜癖には個人差があるようだ。よく何日も喫煙せずにいられる人を見るが、こういう人は禁煙でもそう苦痛無くできるのだろう。ニコチンの体内半減期は40分という。40分でニコチンは、肝臓のビタミンCを消費しながら分解され半減する。著者は外科医で、8時間以上の手術を一度も休まずに行うことがある。タバコが吸いたくて休憩したくなることはない。つまり喫煙嗜癖のかなりの部分はニコチン依存性以外の要素が存在していることを示すものであろう。

 ニコチン依存性以外の要素とは何か。原始反射ではなかろうか。すなわち、吸い付き反射の顕在化である。

 吸い付き反射は我ら哺乳類にとって生命維持に必要な反射である。母親の乳首に吸い付くためには、こうした動作が大脳の命令(意志)ではなく、反射として、確立したneuronal circuitを持つことは経済効率上重要である。新生児期、哺乳期を卒業するに連れ、母親の乳首は禁断の木の実となる。しかして、この反射は心のみならず、体の奥底に追いやられてしまう。大脳に相当なダメージを受けた人のみがこの反射を再び自分のものとして現すことができる。しかし、このとき、医者は、「この患者には病的反射がある」とうそぶく。

 こんなにも生命維持のために必要な反射が、心からも体からも消失するはずがないのである。ここに禁煙グッズ、ここ最近でいうとアイコスなる商品が売れる理由が存在する。もしもアイコスを考えた人が、こうした生理学的なことまで考慮して商品化したのなら脱帽である。

 著者はこうした知識がある故、未だに禁煙グッズが買えず、従って禁煙できずにいる。まさか、あなたいまだ「ネンネタオル」を首に巻き付けて寝てないでしょうね。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療