新聞が読めない

 洋画を見て大変困ることは、出演者の名前が出るキャスティングの部分がとても早く、とても追い付かないことである。なれた名前が出てくると何とか読めるのだが。 

 著者がまだ駆け出しの頃、神経内科を半年間勉強に回った。その時に受け持った患者さんに、とても複雑な神経の障害を持った人が居た。神経の診察にはいろいろな検査をするが、中でも眼球運動は重要である。その患者さんを一通り診察して、あまり異常を見出すことはできなかった。もう一度、患者さんの訴えを聞くと、新聞が読めないという。横書の文章は問題無く読めるという。

 眼球運動には大きく二通りの動きがある。通常これらは早い眼球運動と遅い眼球運動と呼ばれる。もしもこの記事を電車の中で読んでおられる読者は、外の景色を見ている前の人の眼球運動を観察して欲しい。景色につれてこれを追う比較的ゆっくりした運動と、元に戻る早い運動が観察できる。この眼球運動はoptokinetic nystagmusと呼ばれる。

 人は、通常1.5程度の視力を持つが、この視力は、黄斑と呼ばれる眼球網膜の小さな部分でしか無い。周辺視野と呼ばれる他の部分は、視力はずっと低い。周辺視野に入っている対象物に対して、我々は、認知しているが見ては居ない。見えているのは、小さな黄斑部に入った対象物だけである。電車の中の釣り公告の文章をポーっと眺めているとき、ある単語が意識に飛び込んできて、気になって、いざこの単語を捜そうとするとなかなか見つからないという経験はないだろうか。

 ゆっくりした眼球運動は、動く対象物をこの黄斑で捉え続けるために、眼球を動かす運動である。また、早い眼球運動とは、視野の片隅に認知された物に、黄斑部を合わせる運動である。この運動ができるために、瞬時にして、物を「見る」ことができるのである。

 幼稚園児が字を読むときには、一字一字読む。文節が完成したときにもう一度復唱して理解する。しかし、我々が文章を読むときは、文節毎に飛び飛びに、読んでいるのである。なれた人が英語を読むときも、単語毎に了解して、決して一字一字読んではいない。見知らぬ単語に出会ったときには、一字一字吟味する。我々が、洋画のキャスティングを読めないのは、人名が我々の語彙集に入っていないからである。

 この時の眼球運動は、次々と、目標物に飛んで行くので、早い眼球運動になる。決して本を動かしながら読む人はいない。

 後で、上下と、左右の関係については述べるが、大脳でのこの二つの概念は全く異質のものである。そもそも、縦の動きに対しては、我々は余り旨く順応できない。特に、上から、下への眼球運動は下手である。ゴルゴサーティーンの一場面で、ゴルゴサーティーンが、銃を持った敵の目の前に上から降りてくる場面があったが、作者は、生理学的な知識があるのかしら。 この患者さんは、横に書いてある文章は、旨く読むことが出来るのに、縦書きの文章-新聞は読めない。

 視覚の中枢で認識した対象物に、眼球を向けることは、かなり高度な大脳を介した反射回路を想定しなければならない。しかし、左右への運動と、上下への運動は、そのパターンはとても似た形をとるが、用いている神経機構、反射回路は全く異質のものである。そもそも、どうして眼球が上下に動かせるのかよく分っていないらしい。左右への命令系統、反射の回路は比較的研究されている。

 ごく短時間に一冊の本を読んでしまう速読が出来る人は、きっと、文節毎ではなく、重要なキーワード毎に眼球を動かしているのではないかと思う。

 このような、不得意な上下方向の眼球運動も、男性では年令とともに旨くなるらしい。若い頃は、女性の顔貌が気になるが、年令とともに胸、そして脚が気になるというではありませんか。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療