連載の終わりに

 この記事を書くに到った動機には、多くの友人たちとの夜話がその主なものである。私は大学に勤務していて貧乏生活をしているが、仲間を募って何とかヨットを一叟持つことができた。週末の夜はそのキャビンの中で、ワインを飲みながら、友人たちと夜話に興じるのが習慣になっている。ブルーチーズとサンジェルマンのニューヨーカーズスティックがあれば、さらにご機嫌である。

 友人たちの職業はさまざまである。共通していることは、皆知識欲が強いことである。私は病気のことを話すのは好きではない。夢が無いから。私の興味は生物学で、日頃臨床家として診療を行いながら、なぜなのかと考え続けていることを、私なりに解説したものを披露すると皆とても興味を持って聞いてくれる。

 かつて、大学受験のためにとにかく興味を持とうが無かろうが、知識をたらふく脳味噌に詰め込んで何とか受験をこなし、いざ大学に入って学問をさせてもらえるのかと思いきや、そこで我々を待っていたものは学問ではなく、やはり学習であった。「学習」と「学問」の差について、一番大きな差は、教育する側の人手である。学習は材料を与えればその効果は期待できる。試験をすれば学習効果があったか否かをすぐに判定できる。途中経過に人手はあまり必要ではない。学習はその字のとおり、先達の方法を習うものであるから、模倣以上のことを期待してはいけない。反面、学問を伝授することは、大変人手と時間をかけねばならない作業である。医学部を卒業した者が学問を開始するのは、大学を卒業してからである。特に臨床家が学問を開始するのは、5年間のレジデント生活が終わってからである。卒後5年間は、先輩たちの技術を模倣することに終始する。これは学問ではない。しかし、この5年間に「何故」をいかにたくさん心のなかに蓄積しておけるかが勝負である。

 キャビンの中で思い付いたことのほとんどは、日常の臨床で患者さんの診察をし、病態生理を考え、「何故」と心に残渣のように引っかかっていたものを、仕事を離れてもう一度考えてみると言う作業から生まれた。人に説明するという作業は更にこの「思い付き」を筋道だった物にしてくれるし、話している途中で急展開することがしばしばある。

 学問の進歩は、「何故」と考え、「仮説」を立てて、「証明する」ことから始まる。何故のないところには学問はない。しかし、「何故」が多すぎるのも問題がないわけではない。一生のうちに証明し切れない。証明のない仮説は独断と偏見に満ち満ちたものであることは、著者も充分弁えているつもりである。この本は私の仮説集と取っていただければご理解頂けるものと思う。神経機構に対する私の独断と偏見を記録しておきたかったというのが、著者の本音である。浅薄な著者も更に精進して、少しでもこの仮説の証明をする努力を続けて行きたいと思っている。

 最後にたくさんの「何故」を与えてくださった患者さん達を始め、著者の戯言に辛抱強く耳を傾けてくれた伊豆松崎マリーナの濱田重久氏や、お名前は省略させて頂くが海の仲間達に心から感謝します。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

参考文献

「イルカの会議」 ウォーレン D トーマス、ダニエル コーフマン著 片山陽子訳 春秋社 1991/8
「宇宙で生まれたオタマジャクシ」 ケネス スーザ、 Newton 教育社 13(3), 1993/3
「カオス--混沌の中の法則」 戸田盛和 岩波書店 1991/10
「カオス的世界像」 イアン スチアート著 須田不二夫、三村和男訳 白揚社 1992/11
「ガラガラヘビの体温計」 渡部正隆 河出書房新社 1991/10
「カラスの死骸はなぜ見あたらないのか」 矢追純一 雄鶏社 1993/4
「形態と構造」 R トム、EC ジーマン著 宇敷重広、佐和隆光訳 みすず書房 1977
「行動とは何か」 PH クロッパー著 田中邦夫訳 ブレーン出版 1992/4
「魚陸に上がる」 奥野良之助 創元社 1989/11
「自然界における左と右」 マーティン ガードナー著 坪井忠二、藤井昭彦、小島弘訳 紀伊国屋書店 1992/5
「新・進化論」 ロバート オークローズ、ジョージ スタンチュー著 渡部正隆訳 平凡社 1992/1
「ソロモンの指輪」 コンラード ローレンツ著 日高敏隆訳 早川書房 1987
「動物の形態学と進化」 ES ラッセル著 坂井建雄訳 三省堂 1993/1
「ニューロン人間」 JP シャンジュー著 新谷昌宏訳 みすず書房 1989/4
「脳と心の正体」 W ペンフィールド著 塚田祐三、山河宏訳 法政大学出版局 1987/8
「脳と心を考える」 伊藤正男 紀伊国屋書店 1993/6
「脳の進化」 JC エックルス著 伊藤正男訳 東京大学出版会 1990/10
「脳の話」 ボリス セルゲーエフ著 金光不二夫訳 東京図書 1990/6
「ピグミーの脳、西洋人の脳」 大橋力編 朝日新聞社 1992/8
「非線型数学」 吉川研一 学会出版センター 1992/1
「人はなぜスケベになったか」 戸川幸夫 講談社 1985
「ビハインド・アイ」 DM マッケイ著 金子隆芳訳 新曜社 1993/4
「不思議なダンス」 リン マーグリス、ドリオン セーガン著 松浦俊輔訳 青土社 1993/6
「マグロは時速160キロで泳ぐ」 中村幸昭 PHP研究所 1986/6
「柔らかい機械」 J キャンベル著 中島健訳 青土社 1990/10

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療