ハットピンを衿に2

 バビンスキーのイギリスでの講演。

 ある貴族が一人旅をしていて、日が暮れてしまった。旅篭があったので、一夜を過ごそうと思ったが、門が閉まっていた。ドアをノックし「一夜お世話になりたいのですが」と、貴族。すると、ドアの向こうから「お名前は」と、宿屋の主人が返事した。「何とかかんとか von 何とかかんとか von 何とかかんとか von 何とかかんとか von 何とかかんとかvon・・・」貴族が正式名で答えた。血統書附きの犬を飼ったことがある方なら御存知だろうが、何処の馬の骨かも分からぬ平民の我々とは違い、貴族には家系を表す長い長い名前が附いている。宿屋の主人が曰く「そんなに沢山の方をお泊めする部屋はございません」と。権威を嵩に着ると物事の本質を見失う。物事をその名称で分類し、そのまま、記憶の引出しにしまい込むと真実は理解出来ない。

 バビンスキー反射も、チャドック、ゴードン、ゴンダ、シェーファー、オッペンハイム、ストランスキー反射も全て、その刺激する部位は微妙に違っていても、本質は足に対して刺激を与えることである。刺激には大きく分けて、有害か、無害かの区別があるが、ここで必要なのは有害刺激、つまり、痛みを引き起こすような刺激である。教科書にはこれらの反射では趾の反応だけが強調されているが、この時よく観察すると、膝関節、股関節は屈曲する。これは足の裏で画鋲を踏んだと考えれば全て納得出来る。足の裏の有害刺激に対するびっくり反射である。大脳や脊髄に病変がなければ、視覚情報が「今、痛いものを踏むぞ」と脊髄にある反射の回路に教えてくれる。その回路はびっくりしないで済む。これが反射の抑制である。バビンスキー反射は病的反射の代表のように教科書には記載されているが、新生児から生後1年くらいは普通に見られる反射であることは、これまた医学生の常識である。先に述べた吸い付き反射や、強制掌握反射が新生児に見られれば原始反射、成人に見られれば病的反射であると言われるのに対して、このバビンスキー反射をどうして原始反射と呼ばないのか。これに関して教科書は一様に口をつぐむ。神経学者の間でその生物学的意味に関するコンセンサスが得られていないと言うのが、原因と思われる。誰も何も言わないのだから、逆に誰でも自分の思ったことを言ってもよい。その正誤は後世の人が決めればよい。

 著者の買った5本のハットピンは、3本を、神経学をともに学ぶ友人へのプレゼントとした。2本を自分のものとして取っておいたが、1本は失った。コバルトブルーのガラス玉の附いたお気に入りの一本は、永く著者の白衣の衿に刺さっていたが、針の銀メッキは剥がれ、ガラス玉は針の付け根で割れてしまった。賢明な読者はもうお分かりのことと思うが、このピンは患者さんの気持ちを和ませるために衿に刺していたわけではなく、足の裏が、いや、患者さんの脊髄が、びっくりするかどうかを見るためにあったのである。勿論その目的は、「橘の反射」を見つけるためである。

 パリの空は遠い。また彼の地を訪れることを夢に見よう。

※このコンテンツは、当科顧問橘滋國先生の著書である「体の反射のふしぎ学ー足がもつれないのはなぜ?」(講談社 ブルーバックス 1994年)を元に改変・編集したものです。

このサイトの監修者

亀田総合病院
脊椎脊髄外科部長 久保田 基夫

【専門分野】
脊椎脊髄疾患、末梢神経疾患の外科治療