スピリチュアルケア 〜「関係性」にて患者を支える〜


トータルペインの視座から見る「スピリチュアルペイン」

緩和ケアを学び始めると、患者に対して着目すべき痛みが「身体的苦痛」、「社会的苦痛」、「精神的苦痛」、「スピリチュアルペイン」と四つあり、これらの痛みを別々のものとして切り離すのではなく、トータルペインとして捉え関わることで、患者と家族のQOLを出来る限り良好にすることが大切だとの言説に出会うでしょう。

まず四つの苦痛についてそれぞれイメージしてみたいと思います。深夜、真っ暗な病室で一人ベッドの上で身体を起こしている患者にどうして眠れないのかを尋ねるシーンを想像してみてください。患者は、(1)「お腹が張って、苦しくて・・・」とあなたに答えるかもしれません。(2)「仕事を休んで収入が途絶えるし、医療費はかかるし、家族に迷惑をかけていると思うと申し訳なくて・・・」と述べるかもしれません。(3)「暗い中、独りだと思うと怖くて、怖くて・・・」と声を震わせて答えるかもしれません。また、(4)「こんな病気になってしまって・・・人に頼らないとトイレにも行けず・・・治らないなら何のために生きているんだろう・・・」とため息をついてあなたに答えるかもしれません。それぞれをステレオタイプで当てはめると、(1)が「身体的苦痛」の表現、(2)が「社会的苦痛」の表現、(3)が「精神的苦痛」の表現、そして(4)が「スピリチュアルペイン」の表現として見て取れます。(⇒現実の臨床ではこのようにシンプルな形で、それも一つの苦痛だけで現れることは少ないでしょうし、また一つの苦痛だけに着目する態度ではなく、トータルな視点でもって関わる態度が重要となります)。

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もう少し緩和ケアの学びを深めていくと、「身体的苦痛」と「社会的苦痛」やそれらの関わりについてはある程度イメージがついてきますが、こころの領域として見られる「精神的苦痛」と「スピリチュアルペイン」についてはどのように違うのか、またそれぞれの関わりについてもどのように違うのかに疑問を持ち始める人もいるではないでしょうか。

つらさは取り除くもの?

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「スピリチュアルペイン」やその関わりである「スピリチュアルケア」のエッセンスを分かりやすくイメージするのに上記の5つの例を使って説明をしたいと思います。

患者より(1)の「眠れなくてつらいです」との声が聞かれると、みなさんの多くは患者を眠れるようにしてあげたいと思うのではないでしょうか。また、(2)の「ソワソワして落ち着かないのでつらいです」との患者の訴えに対してもそのつらさをできれば取り除いてあげたいと考えるのではないでしょうか。しかしどうでしょう、(3)の「フルマラソンを完走したくて練習していますが、練習がつらいです」という人に、そのつらさを取り除いてあげたいと思うでしょうか。また、(4)の「試験に合格したくて勉強を頑張っていますが、とてもつらいです」という人に対してもそのつらさを和らげてあげたいと考えるでしょうか?「つらい」という言葉を聞いても、"(1)、(2)"と"(3)、(4)"では何か異なるような気がしませんか。

"(1)、(2)"は患者の精神「症状」に伴う訴えとして理解するので、私たちはその「症状」に対して「緩和」しようと考え、そのつらさを取り除いてあげたいという気持ちになります。一方"(3)、(4)"はどうでしょうか。"(3)、(4)"で聞かれるつらさは「症状」ではありません。つらくてもマラソンの練習や試験勉強を遂行することに「意味」があると本人も周りの関わる人も感じるので、その人のつらさを取り除こうという気にはならず、応援したり、支えてあげたいという気持ちになるのではないでしょうか。ここでも枝葉末節を省いてステレオタイプ的に述べると、"(1)、(2)"の精神「症状」に対しては「症状緩和」、"(3)、(4)"の「意味」に関わることは「関係性」で支える、との理解とその関わりが見て取れるのではないでしょうか。

さて、(5)の「治らないなら、何のために生きているか分からなくて、つらいです」との訴えを見るとどうでしょうか。意識しないなら、この患者のつらさを緩和してあげたい、できれば取り除いてあげたいと思い、「どのようにすれば」と考える人も多いのではないでしょうか。しかし、上記で述べたことを参照すると、この患者の訴えは「緩和」の対象である「症状」ではなく、「意味」に関わる領域であることが分かるでしょう。ここでは、つらさの「意味」を見いだせない苦悩を「スピリチュアルペイン」とシンプルに定義づけます。そして、その関わりである「スピリチュアルケア」は、「スピリチュアルペイン」を「症状」とみて「緩和」することを意図するのではなく、「関係性」でもって患者が「意味」を見出すのを支えることになります。

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別の表現を取ると、「症状緩和」が医療者の馴染みある「問題解決志向」とするなら、「スピリチュアルケア」は「問題解決志向」とは質的に違う「関係性に基づくケア」といえます。"(3)、(4)"で見て取れるように、その本人がつらさに「意味」を見いだすことができれば、そのつらさを抱えることができます。そのつらさを抱えることができるように「意味」を見いだす支えになる関わりが「スピリチュアルケア」です。そのつらさにどのような意味を見いだすかについては、正解はなく、周りの人が本人に代わって答えを出すことができません。「スピリチュアルケア」に携わる者とは、つらさを抱えている人が「意味」を求めて模索する未知の旅につらさを幾分か共有しながら共に歩んでいくといったイメージになるかもしれません。

最後に

「スピリチュアルペイン」は、容易に解決できない個別の人生に関わる苦悩と言われます。そのケアには、「スピリチュアルペイン」を「症状」と見なし、その「症状」を緩和するにはどうすればよいのかとの「問題解決志向」の視点で関わるのではなく、そのつらさに患者本人が幾分かでも「意味」を見出せるように「関係性」で支えるとの視点を分かりやすく提示いたしました。補足的にもう一点述べますと、「意味」を見出せずにつらさを抱える患者を「関係性」で支える「スピリチュアルケア」は、終末期に限定されません。
実践の臨床の場では、「スピリチュアルペイン」が他の苦痛から切り離されて表出されることは少ないでしょう。むしろ「身体的苦痛」、「社会的苦痛」、「精神的苦痛」と相まって、またはそれらに隠れて表出されることの方が多い印象すらあります。複雑なことを単純に提示したことで抜け落ちたり、誤解を与えてしまったりしていることもあると思います。その意味でも、トータルペインへの理解を前提に「スピリチュアルペイン」やそのケアである「スピリチュアルケア」を理解していただくことを願っております。

(瀬良)