かめだPOST 遺伝)出生前検査と遺伝カウンセリング)出生前検査の歴史

話は戦後間もない1948年に公布された優生保護法から始まります。この法律は、「不良な子孫の出生防止」と「母性の生命健康の保護」を目的として作られました。内容は、条件付きでの人工妊娠中絶の合法化、さらには障がい者等に対して、本人の同意のない強制的な不妊手術や中絶を認めたものでした。その被害者は16万人にものぼります。

1960年代半ば~1970年代初頭には、「不幸な子どもの生まれない運動」という施策が兵庫県を中心に全国に広がりました。「人の一生は出生以前、受胎のときから始まる」という考えのもと、自治体が定める「不幸な子ども」を早期発見して減らすことを目的としました。この施策に1970年代初頭から、羊水検査(※1)が条件付きで利用されるようになりました。

なぜこれらの施策が行われたのでしょうか。終戦後、医療の進歩や公衆衛生の改善により、胎児や乳幼児の死亡率も改善した一方で、社会保障費の負担が増えるという声が上がったのです。当然、この施策に対して反対運動も起きました。「青い芝の会」等障がい者団体は、出生前検査とその結果による妊娠中絶は、障がい者の生存権を否定していると訴えました。また、産む/産まないの自己決定を訴える女性団体とも議論を重ね、1990年代終盤には「子どもをもつかどうかを決めるのは女性の権利だが、障がいの有無で胎児を選ぶことは性と生殖に関する権利には含まれないし、正当化もされない」という考えが確立されました。

そんな最中、1994年に海外から母体血清マーカー(※2)が導入されました。羊水検査に比べて安全で簡易に行えるため、普及すれば検査会社や医療機関の利益になる、と国内でも拡がる兆しがありました。これに対して、障がい者団体や女性団体が、「障がい者への支援体制が不十分で差別・偏見がある現状では、胎児の産み分けにつながる」と強い危機感を訴えました。そこで国は、1999年に「医師は妊婦に出生前検査について積極的に知らせる必要はなく、勧めるべきでもない」という見解を出しました。この抑制のため、2000年代半ばまで、年間の出生前検査実施件数は全出生数に対して約3%を推移していました。

しかし、2010年以降、NIPT(※3)の研究ベースでの開始後、規制を無視して商業化する企業や医療機関の登場、またインターネットの普及により、信ぴょう性に欠けた情報も含めて人々が直接情報を得られるようになりました。そのため、2022年に国は1999年の見解から大きく方向転換を行い、「出生前検査の目的は胎児の情報を正確に把握し、妊婦とパートナーの自己決定を支援すること」であり、「妊娠・出産・育児に関する包括的な支援の一環として、出生前検査に関する情報提供を行うべき」としました。

出生前検査は人々の思想、国の福祉政策、経済などに翻弄されてきました。何を障がいとするか、障がいに対する福祉がどのようなものであるか、それは時代や個人によって変化し続けます。臨床遺伝科では、このような出生前検査の特性について情報提供を行うとともに、数年後に振り返っても納得できる選択ができるようにお手伝いしています。

  • 羊水検査:出生前検査の一つ。妊婦のお腹に針をさして羊水に含まれる赤ちゃん由来の細胞を採取し、染色体異常がないかを調べる検査。
  • 母体血清マーカー:出生前検査の一つ。妊婦の血中成分を調べて、赤ちゃんに染色体疾患がありそうか確率を調べる検査。
  • NIPT(非侵襲性出生前遺伝学的検査):出生前検査の一つ。妊婦の血液中にある赤ちゃん(胎盤)由来のDNAを調べて、赤ちゃんに染色体疾患があるかを調べる検査。

【参考資料】

  • 日本弁護士連合会P.「旧優生保護法下において実施された優生手術等に関する全面的な被害回復の措置を求める決議」
  • 立命館大学生命学研究所HP.「出生前検査の歴史といま―『優生思想をほぐす』」
  • 2019年8月11日緊急シンポジウムの記録 東京集会実行委員会.みんなで話そう 新型出生前診断はだれのため?. 2020,67p
  • 小西晶子 佐村修. 母体血清マーカー検査の歴史.臨生婦人科産科.2017,1(4),p.11-12.
  • 土屋敦.「不幸な子どもの生まれない運動」と羊水検査の歴史的受容過程.生命倫理.2007, VOL .7 NO.12,p.190-197.
監修者
亀田総合病院
産婦人科部長代理、周産期科部長代理、臨床遺伝科 部長代理 末光 徳匡

【専門分野】
産婦人科・周産期医療・胎児超音波

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