第1回:偶然から放射線科医になった。

〜本コーナーでは、当科顧問の菊池陽一先生に、非定期でこれまでの経験や体験に基づいたお話、その他よもやま話を寄せて頂きます〜

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「これは上腸間膜動脈血栓症じゃないのか。」

ICUと放射線科とのカンファランスで放射線科の黒崎講師が言った。
何でそんなことが一枚の腹部単純写真から判るのか卒後2年目の麻酔科研修医であった私には全く見当がつかなかった。当時救急医を目指して東京女子医大の麻酔科で研修中であった私はこの放射線科とのカンファレンスをきっかけに放射線診断が面白くなりついには転科を決意することになった。

筑波大で放射線科研修を2年行った後、アメリカでレジデント・フェローとしてさらに臨床研修を行った。アメリカでは放射線科はメジャー科。1980年代、中規模州立大学のWisconsin大学でもスタッフが約30人、レジデント・フェローが20人いた。
放射線科のレジデントの中には他科から転科してきた者も少なくなかった。私の同期のSam Choiは韓国出身で卒後すぐアメリカに渡りインターンのあと神経内科の研修を行い、Massachussetts General HospitalではKennedy大統領のお母さんの主治医をしていたこともあるそうだ。その後Iowa州で神経内科のクリニックをやっていたが放射線診断レジデントとして研修を開始した。他にもリューマチ膠原病内科専門医、家庭医、脳外科医から放射線診断医に移ってきた後輩たちがいる。
彼らの選択は正しいと思う。ここ30年の間に放射線診断は飛躍的な発展を遂げて来ている。MRIの進歩は止まるところを知らないし、IVRも数々の新しいデバイスの登場で多くの疾患が放射線科医により低侵襲的に治療されるようになっている。
放射線科医は診断という最も知的な活動と外科的治療を実践できる専門家である。さらに専門医であると同時にgeneralistの側面も持ち合わせている数少ない分野である。放射線診断・IVRの魅力にたくさんの医学生や初期および後期研修医が気づき、仲間に加わることがこの国の医療の充実と発展に必要である。

あのとき麻酔科研修のICUローテーションで放射線科診断の醍醐味に出会っていなかったら私はどうなっていただろうか。幸運への入り口はどこに開いているか判らない。

亀田総合病院放射線科 顧問 菊池陽一

このサイトの監修者

亀田総合病院 放射線科部長・画像診断センター長
亀田京橋クリニック診療部部長(放射線科担当)兼務 町田 洋一

【専門分野】
乳腺濃度(breast density)、乳腺の画像ガイド下生検