亀田QQ卒業生インタビューvol.5

亀田ERのカリスマ姉さんこと中山先生に御一筆いただけました。
ER、災害、国際支援など世界的にご活躍されながら、国内でも講演などもなさっています。中山先生のカリスマ性や明るさ、患者やスタッフへの心遣いなど多くの研修医が目標とし、今でも鴨川に来訪していただき、様々な学びを得ています。

中山 恵美子 先生
所属:London School of Hygiene and Tropical Medicine, MSc Public Health

私が亀田総合病院の救急センターで後期研修を行ったのは2008年度からの3年間である。研修終了後にさらに1年間産婦人科研修を行いいったん退職した。1年半都立小児総合医療センターの救急部で小児救急を学んだ後に国境なき医師団(以下MSF)に参加した。その後、MSFでの活動を続ける私にとって亀田病院はいつでも「帰れる場所」であり続けている。

私は卒業大学の分院で初期研修を終えたのち、walk-inから集中治療まで幅広く学ぶことのできた亀田病院での後期研修を選んだ。当時は外傷を主とした三次救急に進みたいと思っていた。亀田では重症でも軽症でも、内因性でも外因性でも変わることのない根本的な診療の考え方と「型」を学び、患者さんとの向き合い方、チーム医療の在り方を身に着けたと思っている。何よりも同期と切磋琢磨し乗り越えたこの3年間は大きな財産であると今でも感じている。後期研修2年目が終了するころ、それぞれが進路を決め始め、私もそのころに国内外の災害医療の道に進もうと決めた。しかし、その頃災害医療という領域は非常にマイナーであり、何をどこでどう学べばよいのかもわからなかった。

とにかく手あたり次第、学会や研修会に参加して少しずつ知識を広め、亀田病院の災害対策システムを構築しようとし始めた後期研修3年目の3月に東日本大震災を経験することとなった。東日本大震災では災害医療とはあくまでも災害対応のごく一部であり、医療アクセスを改善するためにはありとあらゆる組織との連携が必要となることを実感し自分の視野がいかに「外傷マネージメント」に偏っていたかを実感した。当時の日本の災害医療もまだ歴史が浅く、地域連携やロジスティックスの重要性への認識が薄かったことが露呈された。私は自然災害に対する短期の緊急医療援助に限らず、広域で長期にわたる人道危機(Humanitarian Crisis)に及んで医療者として何をすべきなのか、どのような災害対策を平時から行うべきなのか、これを自分の専門性にしたいと考えた。当初考えていた、外傷専門医からは異なる進路を選ぶこととなった。

必要な臨床能力を高めるために1年間の産科研修を亀田病院で行い、その後1年半、東京都立小児総合医療センターの救急部にて小児救急を学んだ。そして卒後8年目の秋にMSFのミッションに参加することにした。MSFは国際緊急医療支援のノウハウを持つプロ集団である。7か月間のアフガニスタンで外傷病院の救急と集中治療室の責任者を果たしたのち、亀田病院に戻り、年に3カ月はMSFの活動(その後3回派遣)を続けながら病院の災害対策体制の構築にかかわってきた。東日本とエボラの経験から公衆衛生や防災・予防の重要性を強く意識するようになり、2017年9月からLondon School of Hygiene and Tropical Medicine にて公衆衛生大学院に1年間留学し現在に至る。これからはさらに人道支援における医療の在り方について国際的なフィールドで実践していきたいと思っている。

亀田病院の面白いところはとにかくバラエティーに富んだ人材が集まってくるところである。さらに情熱をもって何かに取り組もうとする者に対して病院としてサポートを惜しまず、最大限にその可能性を活かしてくれる。

現在の救急部の診療体制は私が研修した頃とは大きく異なっており、より時代の流れに順応した体制に変わりつつある。現在どのような教育体制なのか私の知るところではないが、たまに話す後輩たちの成長ぶりにいつも心地よい刺激をうけている。亀田救急は成長し続けている医局であるとともに、どの領域にその後進もうとも通用する基礎を叩き込んでくれると場所であると確信している。

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このサイトの監修者

亀田総合病院
救命救急センター センター長/救命救急科 部長 不動寺 純明

【専門分野】
救急医療、一般外科、外傷外科