利用可能性ヒューリスティックが救急医に与える影響

Journal Title
The Influence of the Availability Heuristic on Physicians in the Emergency Department

論文の要約
背景:利用可能性ヒューリスティック(Availability Heuristic)とは、取り出しやすい記憶情報を優先的に頼って判断してしまうことをいう。それは医師の意思決定に影響を与えるよくあるヒューリスティックの一つとされるが、その根拠は限られている。そこで本研究は退役軍人病院の電子健康データを利用し、肺塞栓を診断した医師が、次に呼吸苦で来院した患者に対して肺塞栓症を想起し、診断のための検査をどれだけ行うようになるのか調べた。
方法:2011年から2018年にかけて、104の退役軍人省(VA)病院に呼吸苦で来院した患者を担当した救急医を対象とした後方視的観察研究である。観察期間中に各医師が初めて肺塞栓症と診断した日を起点としてその前60日間に同医師が呼吸苦の患者に対して肺塞栓症の診断のため検査(Dダイマーおよび/またはコンピュータ断層撮影)を行った割合と診断後60日間に呼吸苦の患者に左記検査を実施した割合を比較した。その比較は、電子カルテデータから得られた以下の肺塞栓症のリスク要因で調整した;Well's Scoreに含まれる7つの臨床的要因のうち4つ(DVTまたはPEの既往、過去6ヶ月以内の悪性腫瘍の診断、過去4週間以内の手術、脈拍数100回/分以上)、先験的に決定した臨床的共変量(SpO2<90%、呼吸苦の代替診断となる可能性のある慢性疾患(虚血性心疾患、鬱血性心不全、慢性閉塞性肺疾患)の存在)、年齢、性別、人種・民族、DNR/DNI(do not resuscitate/do not intubate)ステータス。なお、検査実施については救急車到着後8時間以内、または救急室退室までのいずれか早い方で行ったかどうかで判定した。肺塞栓症の診断は、医師が患者の受診時に救急室の退院診断として肺塞栓症を入力することと定義した。解析は、アウトカムを肺塞栓症と診断した日を基点に10日間隔の時間関数とした線形確率モデル(Gaussian family and identity link)を用いて多変量回帰分析を行い、上記リスク因子を調整した。
結果: 416,720人の呼吸苦で来院した患者に対して診療を行った7370人の救急医が研究対象となった。患者の平均年齢は62.9歳で、女性が約10%、過去6ヶ月間の悪性腫瘍割合が約11%、DVT/PEの既往が約6%、過去4週間以内の手術歴が約2%、HR>100回/分が約18%であった。肺塞栓症検査の平均実施率はDダイマー約7%、胸部造影CTが約5%で平均9%であった。ERで肺塞栓症の診断を受けた患者は約1%であった。
肺塞栓症の患者を診察してから最初の10日間では、その10日前に比べて肺塞栓症検査実施率が1.38%(95%信頼区間[CI]0.42〜2.34)と統計的に有意に増加した。それは全体の平均実施率と比較すると15%増加に相当した。その後の50日間では、肺塞栓症検査の実施率に統計的に有意な変化は見られなかった。

Implication
検査の決定における利用可能性ヒューリスティックを検証した、初めての多施設、大規模観察研究である。本研究ではいくつかの感度分析も行われ、結果の頑健性が示されている。医師が肺塞栓症を診断した直後では検査実施率が上昇し、その後もとに戻る経過は利用可能性ヒューリスティックが医師の意思決定に影響したと考えて矛盾しない。
しかし、本研究では多変量回帰分析が行われたが、前後のトレンドの変化をより因果関係に近く解析するためには回帰不連続デザインが適切と考える。また、デザイン上、診断前の期間には肺塞栓症が絶対にない期間となり、診断後の期間では更に肺塞栓が診断されうる点で、調整されたリスク因子以外の要因が存在しうるため前後の比較可能性を損ねている。この問題を解決するためには、呼吸苦の患者に対して肺塞栓を診断した医師と、同日に呼吸苦患者に対して肺塞栓症と診断しなかった医師のペアを組み入れていき、その後を追跡するrolling entry matching が適切と考える。

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文責:中村祐太・増渕高照・南三郎


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このサイトの監修者

亀田総合病院
救命救急センター センター長/救命救急科 部長 不動寺 純明

【専門分野】
救急医療、一般外科、外傷外科