米国の麻酔看護師事情

Certified Registered Nurse Anesthetist

今回は米国の麻酔業務において必要不可欠な存在である、麻酔看護師(CRNA)について話をしたいと思います。米国におけるCRNAの歴史は長く、1877年にSister Mary Bernard が最初に麻酔を専門にした看護師と知られ、1931年には国家資格としてのCRNAの第1期生が生まれました。時を同じくして、1927年にDr. Waters がWisconsin大学で米国初の麻酔科のresidency programを設立しました。このような歴史的背景からも米国においては麻酔科医とCRNAは対立的立場にあることは容易に察することができます。実際に麻酔科医とCRNAの線引きにおいて、これまで幾度となく争議が繰り返されてきましたが、政治的には看護師協会の方が強くCRNAに有利な様々な法律が制定されてきました。例えば、現在30州が麻酔科医の監督が必要なく麻酔行為を行うことが認められています。麻酔行為には気管挿管・動脈ライン確保はもとより、中心静脈ライン確保・脊髄くも膜下麻酔・硬膜外麻酔などの手技が含まれています。確認はしていませんが、アイオワの田舎の病院でCRNAがペインクリニック外来でブロックをしているところもあると聞きます。また、軍人病院(VA Hospital)は予算削減のために麻酔行為はすべてCRNAが担当しています。

Nurse Anesthesiologist

2025年からCRNAの資格に博士の学位が必要になり、CRNAの資格取得にはより高い学歴が必要になります。現在でも一般内科医よりも高収入であるCRNAは将来的には麻酔科医との収入の差もなくなる可能性も出てきます。また、現在CRNAは "Nurse Anesthetist" と呼ばれていますが、博士号を取得することにより医師と学位が並ぶので自らを " Nurse Anesthesiologist" と呼ぶようにするべきだというキャンペーンを始めています。(https://www.nurseanesthesiologistinfo.com/) 勿論、これに対して米国麻酔科学会(ASA)は抗議を表明していますが、今後の動向に目が離せません。このように米国において麻酔科医とCRNAは政治的には敵対しており常に様々な摩擦が起こっております。しかし、実際の麻酔業務では麻酔科医にとってCRNAは不可分の存在であり、複雑な関係を呈しています。

アイオワ大学での麻酔看護師の役割

アイオワ大学麻酔科には現在80人程度のCRNAが麻酔業務に従事しています。これは麻酔科スタッフ数とほぼ同数に値します。私がアイオワ大学で働き始めた2005年頃はその半数もいなかったように記憶していますのでこの15年で倍以上に増加しており、そして現在も増加傾向にあります。アイオワ州という医師のリクルートが難しい病院の立地条件、麻酔科の業務の拡大、に加えて人件費節約のため病院側も積極的に麻酔看護師のリクルートを行っています。アイオワ大学麻酔科のCRNAの役割は一般麻酔の担当、術前外来が主な業務となっております。小児病院には小児麻酔専属のCRNAがいます。アイオワ大学では私の専門である心臓麻酔にはCRNAは一切関与しませんが他施設では心臓麻酔専門のCRNAもいます。アイオワ州はCRNAが単独で麻酔を行ってよいという州ですが、院内規定でアイオワ大学病院では麻酔科医の監督下に麻酔を行う必要があります。実際にCRNAと症例を担当した場合、術前診察と麻酔の説明はケースバイケースで麻酔科医もしくはCRNAが行います。麻酔導入は基本的には二人で行いますが、麻酔科医が2、3列並列で症例を担当している場合はCRNA単独で導入してもらうこともあります。維持は必要時に麻酔科医が呼ばれてコンサルタントを受けます。覚醒も導入と同様、麻酔科医と伴にもしくはCRNA単独で行います。よって、忙しいときにはASAPS1 の症例などは、一度もその部屋には行かないこともあります。このように一般麻酔における麻酔科医の役割はファシリテーターであり、手術室の中に引きこもって麻酔維持管理を行うことはありません。もちろん、ハイリスク症例、心臓麻酔等の特殊な麻酔管理は麻酔科医が行いますが、ほとんどの症例はCRNAが維持管理を行っております。このようなシステムで麻酔業務を行うと、必ず問題になるのが麻酔管理の意見の相違です。監督下の麻酔科医の指示に従えないと言われたり、ハイリスク患者が担当になった場合、この麻酔科医には対応できないので一緒に麻酔をすることはできないといった、クレームが平気で上がります。そのような場合、米国では立場の低いCRNAの言う事を聞く必要があり、そうしなければパワハラで訴えられてしまいます。よくあるケースで新米スタッフが麻酔歴30年クラスのCRNAに偉そうに指示すると大問題に発展し、実際、クビになった麻酔科医も何人か見てきました。言うまでもなく担当症例の全責任は麻酔科医の責任になるので、患者に不利益が生じないように指示を怠ってはいけないのですが、そのバランスが非常に繊細で難しくなります。幸い心臓麻酔科医は常にハイリスク症例を担当しているためCRNAからは一目置かれる存在であり、僕自身がCRNAとの関係でこれまで問題になったことはありません。CRNAと共に働くことにより、絶対的な麻酔の臨床力を見せつけることによりはっきりとしたお互いの役割が意識され、良好な人間関係が構築され、安全な麻酔管理ができるのではないかと考えます。

日本における看護師の麻酔業務への参入

日本においても看護師の麻酔業務への参入が始まりつつあります。周麻酔管理チーム、看護師の特定機能行為、周麻酔看護師(PAN)といった様々な名前をつけ、あえて麻酔看護師と呼ばないのは米国でのCRNAの存在があまりにも大きく脅威に感じているからかもしれません。日本麻酔科学会も長年、看護師に麻酔業務の資格を与えることに抵抗を示していましたが、2020年の診療報酬改定で、麻酔研修を行った看護師の麻酔維持が麻酔管理料請求できることが決まり、事実上、国が看護師が麻酔業務を行うことを認めたことになりました。これに伴い我々麻酔科医の中には麻酔看護師に麻酔業務を乗っ取られ、仕事がなくなってしまうのではないかと困惑してる人もいるかと思われますが、私自身その心配は全くないと思っています。長年CRNAを運用してきた米国から、また多くの国で活用されている麻酔看護師や麻酔医助手からそのメリットとデメリットを十分に学び、日本でも看護師を麻酔業務に活用することはこれからの日本の麻酔の発展には必要不可欠であると思います。麻酔科医が主導権を握り麻酔看護師を教育指導し、麻酔看護師に麻酔業務を丸投げするのではなく、その役割の線引きを明確にすることで米国の麻酔科医とCRNAの関係とは全く異なった関係を構築することができると思います。

これからの麻酔科医の役割

日本でもこれからどんどん看護師が麻酔業務を請け負い、タスクシフトが進んでいくと思われます。一般の麻酔を専門医が維持管理することは医療経済的にも無駄であり、看護師主体の麻酔管理が行われる時代が訪れるでしょう。では、我々麻酔科医は何をすべきか、何ができるか考えなければなりません。心臓麻酔などの専門性の高い麻酔やハイリスク症例の麻酔管理能力、そして術中のトラブルに対して迅速に対応する、もしくは未然に防ぐ管理能力を養う必要があるでしょう。また、これまで術中管理を主たる業務としていた麻酔科医はマネージメントが主たる業務にかわっていくのではないかと考えます。これからの麻酔研修医にはそういった能力をつける教育をする必要があるでしょう。これから訪れる麻酔科医の役割の大きな転換期に、私のアイオワ大学での臨床経験を亀田病院麻酔科に還元することにより、様々な化学反応が生じ、全く新しい麻酔科が形成されるのではないかと期待に胸が膨らみます。

亀田総合病院 麻酔科部長 植田 健一

このサイトの監修者

亀田総合病院
麻酔科主任部長 小林 収

【専門分野】
麻酔、集中治療