医療法人鉄蕉会のルーツは、5代前の亀田自證が長崎に出向き、シーボルト先生に蘭方医学を学び、当地に戻った後に西洋医療を行うとともに、鉄蕉館という蘭学塾を開設したことに遡ります。
また、看護教育の歴史は私の父である亀田俊孝が昭和29年の准看護学校を開設したことに始まります。当時、都会からの看護師の招聘は非常に難しかったため、看護学校の創設者である俊孝は、医療の充実は看護の充実無しにはあり得ないという信念のもと、ごく小さな田舎病院でありながら看護教育に情熱を注ぎました。その後、昭和39年に当地域初の総合病院の開設、これにあわせて昭和41年、医療法人立としては我が国初の看護師養成所である亀田総合病院高等看護学院を開設しました。地域の医療にとって看護師養成所が必須であることを訴えるため、母が厚生省に日参していた姿を子供ながらに覚えています。定員20名という最小規模の進学コースでしたが、東北地方などから優秀な学生が入学し、全寮制の中で家族のように育てた当時の卒業生が現在も当院で活躍しています。
その後地域や時代の要請に応える形で病院も拡張し、看護学校も3年課程の看護専門学校の開設、全日制進学コースへの移行、定員増、准看護学科の廃止、助産学科の開設、進学コースの廃止などの変遷を辿り、現在に至っています。私が平成2年に学校長に就任した際に掲げた目標に看護大学の開設がありました。当時はまだ我が国では4年制看護大学は少ない状況でしたが、看護に求められる質や看護師を目指す高校生たちのニーズは、明らかに大学志向が強くなっていました。しかし、当院の財務状況をはじめとした体力は大学設立には困難な状況であったため時期を待つこととなりました。その間、医師の卒後研修や医療の質の向上に取り組み、当院は国内でも高い評価を得るまでになりました。しかし一方で、看護大学は全国で170校以上に増え、少子化の影響もあり、看護学校への応募者が激減し、毎年定員を確保できない状況となってしまいました。
今回の当院の中期5ヵ年計画の中でも優秀な看護師の確保対策が最重要課題となっています。本年4月から千葉県初の私立幼稚園を運営されてきた学校法人結城学園を引き継がせて頂く形で「学校法人鉄蕉館」に名称変更を行い、私が理事長に就任することになりました。平成22年4月からは亀田医療技術専門学校が、現在の医療法人から学校法人鉄蕉館に設置者変更される予定です。更に平成24年の医療大学における看護学部の開設に向けて、現在不退転の覚悟で準備を進めています。
高齢化が進む中、看護師をはじめとした医療者を目指す人々が皆それぞれにふさわしい形で目標を達成できるような、多様な制度や養成システムが求められてくると思います。学校法人鉄蕉館は、現在の医療技術専門学校の更なる充実は勿論のこと、今後求められる看護系の大学院教育や現在議論がはじまっている医師の大学院大学(メディカルスクール)構想も視野に入れ、健康を通じて人々の幸せに貢献できる人材育成に邁進していく所存です。皆様の一層のご支援、ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。
◎blog開設しました◎ 亀田省吾・・・(仮称)亀田医療大学開設にむけて
2009年5月1日